本来ならば…⑤

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前回の話の続きです。

「一つを除いて」子供たちは、ママのして欲しいことに納得してお手伝いをすることを約束してくれました。

では、除かれた「一つ」は、何かといいますと、前回の記事に書きました食事の料理を運ぶなどのお手伝いでした。

子供たちは、食事の時のお手伝いに関しては、条件を出してきました。
それは、「お金」です。(苦笑)

お手伝いをする条件として、1円でも良いから、お金が欲しいと言ってきたそうです。
(本人たちはお小遣い感覚だったようです。)

それを聞いてママさんは、「えっ?!」となり、次の言葉が出てこなかったそうです。

そこでご主人に今回のこと全てを伝え、このお手伝いの条件のことを相談されました。

ご主人は、「本来であれば、お金をもらってやるべきことではないけれど、お手伝いとしてあげても良いよ。ただし、本当はお金をもらってやることではないことを説明した上で。何でもかんでもお金をもらわないとやらないとなるのも困るから、特別だということをしっかりと伝えてね。」とアドバイスをくれたそうです。

ママさんは、ご主人のアドバイス通りにしてみたいと言われました。

そこで、一つ私の意見をお伝えさせていただきました。
ご主人のアドバイスは、悪くはないと思いますが、良くはないとお伝しました。

何が良くないのかと言いますと「本来であれば、間違っていることを今回だけ特別に許す」というこことです。

「本来であれば、間違っている」ことは、「間違っている」ことです。
「本来であれば」と前置きをすることで、「間違っている」をあたかも「間違っていない」かのように錯覚させています。

この錯覚は、後々良くないことを次々に引き起こします。
例えば、まず「間違っている」ことを「間違っていない」と錯覚することで、それが「正しい」と思えて(錯覚して)きます。

何が「正しい」かと言いますと、それは「お手伝いをすることでお小遣いをあげる」ことです。

子供たちがするお手伝いに対してお小遣い(お金)をあげることが「正しい」となると、ママさんは、お手伝いに対してお金をあげることが「正しい」と思い始めます。

思い始めるということは、これを繰り返すと、「思える」と変化してきます。
自分のしていることが「正しいと思える」になると次には「思える」が消え始め「正しい」と変化します。

するさらに変化します。「正しい」ことをしているわけですから「良いことをしている」となります。

ここまでくると、子供たちがお手伝いをすることにお金を渡すことが「良いこと」となります。

ここまでがお母さんの心理状態の変化ですが、当然、子供たちの心理状態の変化もあります。

---次回へ続く---

かゎら



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