本来ならば…⑥

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前回の続きです。

本来であればもらえないはずのお金ですが、特別にもらえました。
本来であれば「間違っている」ことでも、「特別」であればもらえる。

「特別」であれば、例え「間違っている」ことをしても「大丈夫」。
「間違っている」ことをしても「大丈夫」。

ひょっとして、間違っているのではなく、「正しい」ことをしている?
「大丈夫」なのは、「正しい」ことをしているからだ。

こうなってくると、ママさんも子供たちも何が「間違っている」のか何が「正しい」のかがわからなくなってきます。

子供たちが何か間違ったことをしても、ママさんにこう言います。
「ママ、今回だけは“特別”に許して」と。
するとママさんも言います「今回だけ“特別”だからね」と。

この“特別”が何度も続くと、何が特別で何が特別でないのかもわからなくなってきます。

子供たちは、“特別”という言葉が魔法のように思えるようになってきます。
何か悪いことをしても“特別”だと言えば、ママは許してくれる。
許してくれないものならママに噛みついてきます。

「この前は、“特別”に許してくれたのに、なぜ今回は許してくれないのか!」と。
ママは少し抵抗します。
「特別は、そう何度もないから特別なの!」と。
でも、時すでに遅しです。

ここまでに何度も“特別”を使っていますから、何度もあるのが“特別”なのです。
ですから、子供たちは、“特別”を遮られると、さらに反発してきます。
反発がさらにエスカレートして来れば、反抗となります。
とまあ、良くない方向(奈落の底)へと転がり落ちていきます。

ここまで読まれた方で気付かれた方もおられると思うのですが、ママさんへのご主人からのアドバイスの中で、「今回だけ特別」というニュアンスのことを言われていた部分があります。

「今回だけ」だからそこまで悪い方向へ行かないのでないかと思われる方もおられると思うのですが、人間そんなに甘いものではありません。(苦笑)

確かに「今回だけ」の特別な措置なのですが、その「今回だけ特別」は、次回にも次々回にも有効となります。

それは、「今回だけ」だからです。(笑)
次回お手伝いする場面でも「今回だけ」を特別にすることは可能ですよね。(笑)

今回のお手伝いと、次回のお手伝いは、別のものです。
もちろん、前回のお手伝いと、今回のお手伝いも別物です。
別のものなのですから、次回のお手伝いにも「今回だけ」が使えるのです。

でも、今回だけは、今回を指しているわけで、次回を指しているわけではないと思われると思うのですが、思い出してみてください。

「本来ならば、間違っている」ものを「間違っていない」にした事実を。

例え、「間違っている」ものでも、“特別”であれば「間違っていない」ことになるのです。
“特別”とは、“今回だけ”を指しています。

「今回だけは今回を指しているわけで、次回を指していない」と、言われるかもしれませんが“今回だけ”であれば、次回も次々回も「間違っていない」のです。

ちょっと、わからなくなてきましたよね。(笑)

何が正しいのか、何が間違っているのかがわからなくなるのです。
「本来ならば…」を今回のような形で使ってしまうと。

少し話が長くなりましたが、まだ話は続きますよ。(笑)
でも、続きは次回とさせていただきます。

かゎら


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