きっかけ---気持ちにある一つの性質(補足①)

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コラム

前回の記事で、私の過去の不安定な人生を書き綴ると言っていたのですが、前回の記事を読み返してみて、少し補足をしておきたいと思いましたので、補足を先に書き綴っておきます。

少し話はそれますが、そういえば、過去の記事に「次回は〇〇を書きます。」と言っておきながら、書かずに放置されているものがありますね。(汗)折を見て書き綴ってみたいとは思っています。思っています。(苦笑)

では、「気持ちにある一つの性質」記事の補足です。

記事の中で、「より良く」は、「本能のような気がする」と書きました。

私的には、「本能」だと認識しています。

ここで言う本能は、気持ちを見失っていても、常に在り続けるものと解釈してください。

呼吸をしていることを意識していなくても呼吸をし続けるように、心臓を動かすことを意識していなくても心臓が動き続けるように、生まれた時から備わっている機能くらいに思っていてください。

ですから、気持ちを見失っていても、見失っていなくても関係なく「より良く」は、在り続けるのです。

ただ、気持ちを見失ってしまうことで、この「より良く」が不安定になります。

どう不安定になるかと言いますと、ワンセットだった「より良く」が、「より」と「良く」に分離してしまいます。

例えば、調理をする時に、食材をカットしようとするとします。

左手で、食材を抑え、右手に握った包丁でカットすることで安定して食材をカットできるのと思いますが、左手を使わないで右手に持った包丁だけでカットしようとすると、とても不安定になり、思うように食材をカットできないと思います。

それと同じように、気持ちを見失うことで、「より良く」の安定が崩れ、「より」と「良く」に分離することで「より良く」という『気持ち』が不安定になってしまいます。

気持ちが不安定になると「心」が落ち着かなくなります。
「居心地が悪い」とも表現できますね。

ここで、補足の補足として、「心」と「気持ち」の関係を少し書き綴ってみたいと思います。

私は、「心」と「気持ち」は区別していますので、どう区別しているのか説明したいと思います。

続きは次回に。(笑)

かゎら



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