名曲「荒城の月」のモデル 岡城跡

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「春高楼の花の宴」から始まる滝廉太郎の名曲『荒城の月』。この曲は彼が少年時代に過ごした大分県竹田市にある岡城を思い起こしながら作曲しました。廉太郎は12歳から14歳まで竹田市で過ごし、地元の小学校を卒業後、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)に進学しました。卒業後、ドイツのライプツィヒに留学したものの、現地で当時不治の病といわれた肺結核を患い留学を断念、志半ばで帰国して両親が住んでいた大分市内の自宅で23歳の若い生涯を閉じました。

 岡城は白滝川と稲葉川に囲まれた高台にある山城で「日本三大堅城」の一つに数えられています。1185年に地元の豪族緒方三郎惟栄によって築城されたのが最初といわれていますが確かではありません。中世の時代には大友氏の家臣、志賀氏の居城でした。戦国時代末期に薩摩の島津氏が豊後に攻め入った時、当時18歳の城主志賀親次は押し寄せる島津の大軍から城を守り、難攻不落の名をほしいままにしました。その後、文禄三年(1594年)に中川氏が入城、近世の城郭整備、城下町の町割を行いました。以来明治時代に至るまで中川氏の居城でした。明治時代の廃城令によって城の建物は全て取り壊され、石垣を残すのみとなって現在に至っています。

 瀧廉太郎は荒れ果てた岡城に登って遊んだ思い出が印象深かったのでしょう。哀愁が漂う名曲のメロディーを思い浮かべながら城内を散策されてはいかがでしょうか。

 お城にはまず入場券を買っていただいて、大手門へと進んでいきます。急なというわけではないですが、坂道になります。歩きやすい靴で足を運ばれることをお薦めします。
 城内は現在でも石垣しか残っていないのですが、壮大な石垣は見応えがたっぷりで往時の栄華を偲ばせます。三の丸から二の丸へと進んでいただくと滝廉太郎の銅像が出迎えてくれます。ここからの景色はまさに絶景。晴れている時にはくじゅう連山や祖母山も一望することができます。二の丸跡には無料休憩所がありまして、中には自動販売機やお手洗いもあります。少し歩き疲れたらちょっと一休みをされてはいかがでしょうか。本丸跡にはこの休憩施設内の階段を登って行くこともできます。また西の丸からの景観も見事です。左手にはくじゅう連山、そして正面には阿蘇外輪山の雄姿を眺めることができます。西の丸には西の丸御殿があり、当初は岡藩三代藩主中川久清の隠居所として建てられました。その後、藩主も移ることになり岡城の主要な殿舎となりました。
 岡城跡は「日本の桜100選」に選ばれている桜の名所でもあり、桜が咲き誇る時期にはまるで絵のような美しさを見せてくれます。秋は紅葉に彩られて、残された石垣との美しいコントラストを楽しむことができます。

 国指定史跡に指定されていて、「日本100名城」にも選ばれている岡城跡。当時の隆盛をしのばせる勇壮でスケールの大きな石垣と城跡から眺める景観を堪能してみてはいかがでしょうか。



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