私の幼少期のHSP気質体験談と、原因の自己分析

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コラム
HSP気質の方はこんな経験や傾向ありますか?

私は子供の頃、親や周りの大人たちから『考えすぎる子』とか『周囲に敏感』『気を使ってばかりで、いつも人に合わせている子』『周囲の顔色に合わせて自己主張が出来ない子』と言われて育ちました。

特に、小学校の通信簿の欄外には、いつも『感受性が人一倍強く、周りに気を使う優しい部分があります。競い合いの場面で周りの事ばかり気にかけてしまう部分がありますが、それもこの子の良い特徴です。ただし、周りを気にして我慢をため込むところがあり、自己主張が苦手なので、もっと自分から行動できると良いでしょう。』と書かれていました。
※どういう経緯か忘れましたが、小児病院の先生や近所の医院の先生にも、子供の時に病院にかかるとよく『感受性が強い子。敏感な子だね。』と言われていたこともあります。

親や先生が勉強を教えてくれる時、説明の中に分からない事や気になる部分があると、ついほかの子たちが気に留めない事でも、相手の説明中に確認してしまう癖があったようで、よく『お前はくどい。そんなことは気にしなくていい。細かいところを気にする。』と言われ叱られたり、親や先生から自分の気になるところを相手にされない事が多かったため、勉強に中々ついて行けず苦手でした。

その為、気になっている事があっても口に出すことは控え、自分が困っていても我慢して、周りの人の顔色やタイミングに合わせ、空気を見て生活をしているような引っ込み思案な性格の子供になりました。
すでに、小学校1年生(約35年前)の時には、活発で自己主張が出来る子たちが率先してコミュニケーションを取り競争などをして遊ぶ中、一人周りに気を使っておもちゃや遊具などを譲ってばかりいたのです。
そんな私の性格や態度が、同年代の子供たちと違う事を心配した母親が、当時の担任の先生に私の事を相談した時、先生が言われた言葉を今も鮮明に覚えています。

その時に先生は『お母さんが気にされている部分は、この子の長所なんですよ。長年教師をやってきて、生徒を見ればわかります。ただ感受性が強くて優しすぎるだけ。周りの子が全部同じところで授業や勉強を理解できるわけではなく、生徒一人一人が、理解できる内容や分からなくて気になる部分が違う。この子も、そのうち自分のわからない部分と知りたい部分にあった勉強のスタイルが見つかるから、焦らなくて大丈夫です。知能の発達や障害というものではなく個性ですよ。』と、不安げな母と私に優しく言ってくれたのです。
もちろん、私は生まれながら自然体でそのような性格をしているため、また人生経験の浅い子供の頃では、自分の性格など知る由もなく、無意識にそのように行動していたので、親が心配するような『自己主張が弱く、人に譲りやすい』とか『気が弱く、流されやすい』という行動を選択している実感は当時はなく、先生や周囲から言われる『感受性が強い』という意味がよくわかりませんでしたが、親や先生などが真剣に自分の事を心配している気持ちや、周囲の大人の感じている不安・緊張など、相手の気持ちばかりを考え気にしていた事を覚えています。

その時、まず第一に思ったのは『お母さんを不安にさせちゃいけない。』『先生を困らせちゃいけない。』『周りに迷惑や心配をかけちゃいけない。』『人に嫌な思いをさえちゃいけない。』という事ばかりで、親や先生に何か言われても『うん。わかりました。』と答えていました。

その経験からか、長年自分の性格の傾向を内面に隠し、感受性がなんであるか気づくこともないまま、人に迷惑をかけないよう周りに気を使って合わせる、人前のキャラを演じて学生時代(思春期・未成年時代)を過ごしていました。

そんな性格(HSP気質)となった原因として、今思い当たるのは、実家が商売をやっており、長男(跡取り)として生まれたという家庭環境の影響と、スパルタ教育や受験戦争などが流行った時代背景もあり、両親のしつけは厳しく、特に母親からは『周囲の気持ちや場の空気に合わせて動くこと、相手の気持ちを考えて行動する事』を物心つく前から口酸っぱく教えられ、常に親や周囲に気を使っていた事が原因ではないかなと分析しています。

ちなみに、家族の中でもHSP気質の傾向があるのは、私と一番下の弟の二人だけで、両親やそのほかの兄弟は、活発で自己主張が出来るHSP気質以外の性格をしています。
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