理想の母親になれなくても、大丈夫!

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みなさん、こんにちは!
jiyuudeitaiです。

私はもともとストイックな性格で、目標を決めるとそこにまっしぐらなタイプです。
子どもたちが不登校になったときは、心無い人に言われた「家庭が安全基地でない」とか、当時の担任に言われた「お母さんが忙しくて、息子さんにかまってあげられていないのでは?」という言葉が、胸に突き刺さり、今でも思い出すと、もやもやします。

言った人に会わなければすっかり忘れますが、まだ息子の学年の副担任として在職しているので、息子の話にも出てきて、忘れることができません。


母親は子どもの前でいつも笑顔でいないといけない、母親が幸せでないといけない、というようなことを軽々という専門家の人もいますが、そんなの無理です。

私も専門職のプライドがあり、人前では仕事以外でも笑顔!でいましたが、心は泣いているのに、笑うなんて病気になってしまう、、と思うこともあります。

先日、作家の吉本隆明さんの著書のレビューを読んでいて、不登校を理解するヒントが見つかりました。

本文の詳細は、忘れましたが、「学校では、先生も生徒も学校に適応しようと本当の姿とは違う姿を見せていることに違和感を覚えた」というような内容で、私もそれを読んだ時、はっとしました。

社会の中で生き抜くには、学校でも職場でも、個性を出しすぎると生きにくい、だからその組織に合わせた自分を作っていく、権力を持つものの意向に従い、交代すれば次の権力者に傾いていく、、というのは、私も嫌です。

自分の考えにマッチしていればいいですが、合わない人や組織に自分を合わせるのは辛い。

偉い人に合わせないといけない、理不尽だと感じても従わないと、怒られたり、不利な目に遭うのが嫌な人は、組織や偉い人に合わせるし、「それはおかしい」と思って行動する人は損をする。

息子も低学年のころ、個性を伸ばしてくれる幼稚園と180度違う小学校に、絶望したんだな、、と思います。

それでも、高学年になると、学校や先生に文句を言いつつ、適応?していきます。

最近、富に思うのは、心無いことを言う人は、相手の気持ちを何も考えていないか、あるいは、その人自身も何が正しいかよくわからないから、偉い人が言ったことを真似している、だけなのかも、、ということです。

考えすぎると疲れます。

理想の母親論をあれこれ言うのはやめてほしいな、と思います。

みんなそれぞれの立場で頑張っているのは、周囲を見てよくわかっています。

私も自分自身を見直し、決めつけるいい方はやめよう、誰かを傷つけているかもしれない、、と考えさせられます。






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