自分の中のジキルとハイド

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みなさん、こんにちは!心理カウンセラーのTorinoです。

今回は、自分の中の「ジキルとハイド」というテーマで書いていきますね。

誰もが自分の中に明るい側面、暗い側面を持っていると思います。状況や場所によって明るく振舞ったり、また一人で家にいるときは暗くなったりしますよね。

多くの方は、この明るさと暗さの幅がそれほど大きくないと思うのですが、私の場合、いまは大分緩やかになりましたが、この明るさと暗さにとてつもない幅がありました。

みんなといるときはとても明るく振舞っている自分ですが、家に帰るとかなりネガティブになる、ということが頻繁にありました。

このときというのは、自分の中にいわゆるジキルとハイド(明るい自分と暗い自分の例えですが)がいることに気づいているけれども、それに対してどうしようもない、何をしていいかわからない、ただ傍観している状態でした。

ただ、この状態というのは、経験がある方はわかるかもしれませんが、ものすごくしんどいのです。自分の感情に振れ幅が大きいほど、生活していくのも苦しくなります。何とかしたいと思っているのです。

とくにハイドのときは、自分をやたら責めます。また自分の人生に嘆いたり、駄目な方にフォーカスして不幸な感情に浸ります。

でも人前にいるときは、明るい自分がいる・・・不思議でした。

「なぜこうなるのだろうか?」と。

長年その自分の感情の浮き沈みの原因は何かと考えてきましたが、原因は、やはり育った環境にありました。

父はいわゆるいまでいう「アダルトチルドレン」でした。(ミスチルではありません。ミスチルの方がよっぽどいいですが)。そして母親はヒステリック、不安障害のようでした。(ヒステリックグラマーではありません)

表側からは普通にみえる家庭でしたが、やはりいったん親がネガティブなモードに入ると、すごいことになりました。

子供の私はその都度、自分の感情を抑えて、「いい子」を演じるのです。家族の調和を保つためには、二人の顔色を常に窺っていたのです。

そのような環境で育ったため、自分の中の感情が常に不安定で、落ち着かないものになりました。やがて明るい自分と暗い自分の極端な性格の自分ができあがりました。

ただ、私は親から「愛」はもらっていました。だから双極性障害のような病気にはならなかったのだと思います。

まさに首の皮一枚で、何とか正常な自分を保てていたのです。

やがて大人になり年月が経つごとに、自分の心について勉強したり、自己啓発を学ぶ中で、心の在り方に気づいていきました。

次第に、明るい自分と暗い自分の距離は近くなっていき、自分で何とか統制がとれるようになってきたのです。

私は今回このブログで何を言いたかったかというと、暗い自分(いわゆるハイドのとき)の自分を決して無視しないで、と言いたかったのです。

自分責めをしている自分は、何かを訴えています。その声を拾ってあげてほしいということ。また、ネガティブになってしまったときは、無理にポジティブにしようとせず、ありのまま認めてあげてほしいということです。

そうやって自分の負の感情を認めて、声を聴いていくうちにだんだんと心が和らいでいき、やがて明るい自分との距離が縮まってきます。

ジキルとハイドが統合されていくのです。ハイドの部分(ネガティブのときの声)というのは、幼少時代の環境や状況に深く関わっていたりしますので、そのときの声(インナーチャイルドといいますが)を拾ってあげてほしいと思います。

カウンセリングをする中で、やはり相談者の方がいま抱えている問題というのは深くたどっていくと、実は、いま述べた幼少時代の状況が密接にかかわっているということが多かったりします。

それほど、幼少時代というのは、いまの状況に影響を与えていることが多いのです。このときにできた「ジキルとハイド」をいまも持っている方はたくさんいらっしゃるかもしれませんが、まずはそれに気づいてあげることが重要です。そしてとくにハイドの部分の声に耳を傾けてあげること、何を訴えているのかを確かめていくことが大事です。

ここまで長々と書いてきましたが、日々、自分の心の声に耳を傾けてあげてくださいね、ありがとうございました。



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