【Vol.1】 自己紹介~経歴編(就活から1社目)~

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皆さん、こんばんは。
東京は30℃近い気温なので、マスクをしての外出がめちゃくちゃしんどい。
ただマスクは予防というよりも、もはや人と会う際の「マナー・エチケット」化しているので、感染するしない問題よりも、なんとなく付けてないと周りの目が気になる問題のほうが付ける理由として大きくなってますね。。。苦笑

 さて、ブログ2本目では、私の自己紹介も兼ねて、比較的ユニークな経歴について書いていきたいと思います。
 新卒では、地元にUターンをするかたちで地場の百貨店に就職しました。長男なので、地元への就職も多少意識はしていたものの、軸は「好きなことを仕事にする」という学生あるあるの軸で就活をしていました。
 当時の”好きなこと”と言えば、ファッション・洋服で、大学生活ではアルバイトの給料をほとんど注ぎ込んでいたほどです。なので、それを仕事にできたらどんなに幸せなことかと、アパレルメーカー、セレクトショップ、百貨店を中心に選考を受けていました。ただ、徐々に1つのブランドしか扱えないメーカーは自分の志向性とは違うなと気付き、最後の方は大手有名セレクトショップ、百貨店に絞って面接を受けるようになっていましたね。
 その中でなぜ百貨店、しかも地場の百貨店に就職を決めたのか。まぁ、きっかけは単純で、東京の大学を出てUターン就職してくれる学生は、地方の企業としては優先度高く採用したいターゲットになることが多く、幸いにも僕に対しても1次面接が終わった後に内定を出してくれたんです。その時点ではまだ都内の企業の選考が残っていたので内定を受けようか多少迷ったのですが、僕の座右の銘である「鶏口となるも牛後となるなかれ」という諺(※)に従い、東京の大きい企業入社する大勢の新卒社員の1人になるよりも、地方の企業だけど期待された1人になる方が良いかなと思い、内定承諾を決断しました。
※大きな集団で使われる者ではなく、小さな集団の長になりなさいという意味

 がしかし、入社をした百貨店は創業200年の老舗企業で、もう分かりやすいくらい典型的な日系社風だったため、1次面接で内定を獲得した期待のルーキー(←当時はちょっと天狗になってましたw)と言えど、バキバキの年功序列にぶっ込まれ、普通の下っ端社員としての扱いを受けたのでした。
 当時の僕は「やべ、、、就職する会社間違えた…」と激しく後悔しましたよね。。。笑
 しかし、腐っててもしょうがないと思い、また不幸中の幸いなことに、当時の百貨店では華形部署の1つであった婦人服部に配属されたので、ここで最年少バイヤーになってやると目標を決め、目の前の仕事で成果を残すことだけにコミットしました。結果的には、都内の企業で働いていれば30歳くらいまで販売員をしなければいけないところ、上司に恵まれたというのもあり、アシスタントバイヤー、バイヤーという経験を3年目までの短い期間で積ませてもらうことができたことは、今でも非常に感謝をしていますし、その経験がなければ今の自分はなかったと思っています。

 では当時の自分は目標を実現するために、何をやったのか。
 まず、入社〜アシスタントバイヤーになるまでの半年間は、

・自分の担当商品カテゴリーが、全然テコ入れがされておらず、売上も激悪なカテゴリーだったため、課題を特定し1年目ながら売上をあげるための施策を考え、上司にプレゼン。
・しかし、新人は基本的に販売業務をしなければいけないので、売上UPの施策を考える時間を捻出すべく、雑用は(掃除とか書類整理、商品品出しとか)朝早く出社し済ませておく。
・販売業務時も、売上不振の担当カテゴリーであっても、買ってくれるお客様はいるので、商品を売ることをそっちのけに(←ごめんなさい、、)、接客しながらお客様の要望をヒアリング。

みたいなことをひたすらやってました。
 そうしたら、全然売れていなかった担当カテゴリーも徐々に売れるようになってきて、自然にそれが実績に繋がったという感じです。アシスタントバイヤーからバイヤーになった時も、基本的には同じようなことをまたやったという感じでした。
 日々の仕事は「重要度が高い・低い」「緊急度が高い・低い」の4象限のいずれかにプロットされるというのは有名な話ですよね。そして、だいたい「重要度が低い」「緊急度が高い」仕事に時間と体力を使ってしまったりするのですが、成果を出すために必要なのは「重要度が高い」「緊急度が低い」仕事だったりするわけで、そこにいかに自分のリソースを充てられるかが大事なわけです。

 つらつらと書いてきましたが、入社当初のキャリア目標をある程度実現できていて、充実した社会人生活を送っていたのですが、ちょうどまる3年年勤めたタイミングで退職を決意することになるのでした。この続きはVol.2でお伝えしたいと思います。
※ちなみに、入社3年で一身上の都合で退職をしたのは当時では、創業200年の歴史の中で、僕が初めてだったようです(笑)
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