「内」と「外」

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マネー・副業
「内」と「外」という概念は、人類発祥当初から存在していたと思われます。
当初、自分や自分の家族の影響の及ぶ範囲を「内」とし、それ以外の範囲を「外」としていました。特に、生活の基盤となる場所を「家(うち)」と呼んで、より明確に区別していたのです。
「外」には自分でコントロールできない危険がいっぱいであり、そこから身を守るために「家」を築いたのでしょう。

時が経つにつれ、家族が増えるに従って一つの「家」では手狭になり、やがてそれは「村」へと姿を変えます。「村」は「群れ」と通じ、複数の家族が行動を共にする集団となるのです。 
そして、新しい「内」の境界線が引かれることになります。この連鎖は次々と拡大し、やがて国家が誕生することになるわけです。

この基本的な考え方は、現代社会においても全く同様です。私たちは「家」に暮らすと同時に「町」に暮らし、さらには「市」や「県」に暮らし、そして「国」に暮らすことになります。 
「内」の範囲が拡大するにつれて、「内」は次第に安全な場所ではなくなり、「外」からの脅威に怯えることになるのです。

また、「内」の多様化も進んでいます。私たちは家族としての「内」の他に、企業としての「内」や宗教としての「内」、友人としての「内」などを持つことになります。 
それらは、国としての「内」さえも超えた存在となり、全人類によって構成される「内」や、さらには全生物の「内」、地球全体の「内」などに、際限なく拡大していくのです。

本来、「内」の中は比較的安全でしたが、ある「内」の中でありながら他の「内」の「外」である状況が頻繁に起こるようになってきました。 
本来、家族は同一の「内」に属するものであり、その「内」は他のどの「内」よりも強固な結びつきであったものが、家族の一部が他の「内」との結びつきをより強固にしてしまうと、家族の「内」の中に「外」が入り込んでしまうことになります。

「外」は本来危険がいっぱいの場所であり、コントロールできないものです。最も安全なはずの「内」の中に、危険な「外」が入り込んでしまった結末は悲惨な場合が多いでしょう。 
特に幼い子供は、家族しか「内」となる存在がないにも係わらず、その「内」の中に「外」が入り込んでしまって、育児放棄や虐待といった事件に発展する例が少なくありません。

さて、「内」と「外」の間には「境界」があり、この「境界」を通して様々な人や物資、情報、エネルギーなどといったモノが相互に出入りしています。 
この「境界」におけるモノの出入りが少なければ少ないほど、その「内」は独立性が高く強固になります。従来は「国家」が相当しましたが、現在では科学技術やグローバル化の進展により、「国家」ですら強固なものではなくなりつつあるのです。

「国家」が「内」に対する安全を維持できるうちはいいですが、これが維持できなくなると、紛争が生じることになります。 
これが「内」に向かえば内乱や独裁となり、「外」に向かえば戦争やテロとなるわけです。

環境問題に関して言えば、従来は「地域」や「国家」といった「内」だけで考えればよかったのです。しかし、「内」と「外」のエネルギーの出入りが明確になるにつれ、「内」だけではグローバルな環境問題に対処しきれなくなってきました。 
そのため、地球全体を「内」と見なして、環境問題を論じる必要性が強まってきているのです。

さらには、従来は地球の「内」と「外」の「境界」は均衡していると考えられてきましたが、必ずしもそうではないことが明らかになってきました。 
極端な例では、巨大隕石の衝突の可能性が挙げられます。これは「外」から「内」への物質の移動であり、地球という「内」に対して、壊滅的なダメージを与える可能性があるのです。

株式市場に関しても「内」と「外」の関係が重要です。 
短期的には「内」と「外」とは均衡していて、いわゆるゼロサムゲームとなっていますが、中・長期的に見るならば、株式市場の「境界」には常に膨大な資金の出入りが存在しています。

その結果、株式市場はゼロサムゲームの場ではなく、従って、単なるギャンブルと同等に捉えることには無理があるのです。 
近年、投資ファンドの台頭により、この「境界」を出入りする資金の量が増大しており、株式市場という狭い「内」だけで考えると、資金量が短期間で大きく上下する状態となっています。

したがって、これからの株式投資は、単純に株価が安い時に買って高くなったら売るという発想ではなく、株式市場全体の資金量が減った時に買って、増えた時に売るといった発想に基づいた戦略が重要となるのかもしれません。 
これは長期投資の発想ですが、資金量の増減といったことに着目すると、今後は必ずしも時間の経過とともに資金量が増えるという保証はなく、資金量のうねりを上手く捉えることが必要になってくると考えるのです。

以上、「内」と「外」、およびその「境界」の存在を意識することによって、さまざまな現象を統一的に理解することができるのではないでしょうか。 
まだまだ議論が十分でない点は多々あると思いますが、あとは皆さんに考えていただけたらと思う次第です。

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