「損切り」と「塩漬け」

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マネー・副業
「損切り」、この古くから言われてきた言葉は、近年ますますその重要性を増してきているように思います。損切りの必要性は、多くの投資家が認識するところであり、多くの投資本でも紹介されています。 
もっとも、「損切りは絶対にしない」と言い切る投資家もまた存在することは事実であり、損切りを否定する人を非難するつもりは毛頭ありません。

さて、この「損切り」ですが、「言うは易し、行うは難し」の典型的な例でしょう。普段、損切り派を自認する者ですら、いざその時が来たら切れないこともあると言います。
いったい何故なのか?その答えが心理学的な背景に存在することは、想像に難くありません。

「損切りができない」という心理状態は、多くの人に見られる「人間の性質」を反映しています。
例えば、子供や年寄りが寝小便をしたとします。家族の者はたいてい、「寝る前には必ずトイレに行きなさい」、「尿意を感じたらすぐに起きてトイレに行きなさい」、「起きることができなければ紙パンツを履いて寝なさい」、「それでも万が一布団を濡らしたらすぐに連絡しなさい」などと、事細かに注意するでしょう。

これで大丈夫だろうと高をくくる。最悪でも、濡れた布団を乾かして、下着やパジャマを洗濯すればよいだろう、と考えます。けして、相手に対して怒ったり、声を荒らげたりするわけではありません。全ての可能性をチェックしたつもりになって、その対処法を完璧にこなせばよいと考えるのです。

しかし、たいていの場合、その考えは落胆に変わります。
「寝る前にトイレに行きなさい」と言っても、その時尿意がなければ自分からは行きません。「紙パンツを履きなさい」と言っても、自分では履きません。「すぐに連絡しなさい」と言っても、報告しません。

結局、寝小便をした事実を隠そうとし、しばらくして異変を感じた家族が布団を剥がすと、畳にまで染み込んだ現実を目の当たりにするのです。家族が呆然とする脇で、当の本人は何事もなかったかのようにすっ呆けていたりするのです。

寝る前にトイレに行ったり、紙パンツを履いたりすることは、万が一株価が下落した時の対処法を考えることに相当します。そして、それでも想定以上に株価が下落した場合は、「ただちに連絡する」、すなわち、「損切り」をすることになります。

しかし、たいていの人は連絡をせずに隠し通そうとします。すなわち、「塩漬け」にするのです。
これと同じような事例は、数え上げればきりがありません。企業や政治家が不祥事を起こした後の対処の仕方などは、その代表例でしょう。

そのような事例を見るにつけ、本来、人間は「隠す」性質を持っているのではないかと思ってしまいます。
それは基本的に、盗賊や他民族の襲撃から財産を隠すといった、古来から存続する性質であるとも言えるのではないでしょうか。そのように、長年受け継がれてきた性質であるがゆえに、「塩漬け」の呪縛から逃れられないのかもしれません。

そう考えると、「損切り」というのは、わりと現代的な考え方、ということになります。
予め許容できる損失の大きさを決めておいて、自分の財産を狙う相手に対して、「これだけ差し出しますからお引き取りください」という契約を行なうようなものです。
近代以前の社会であれば成り立たなかった場合も多かったであろうこの契約は、現代社会では当たり前のように行なわれているのではないでしょうか。

保険契約も、ある意味「損切り」です。毎月、許容できる範囲の「損失」を計上する代わりに、将来起こるかもしれない大きな損失を肩代わりしてもらう契約を結んでいるのです。 
株式投資に準えるならば、もし「損切り」という保険料を支払わなければ、いつか来るだろう株価の大幅下落という損失に「塩漬け」で対応し、「損切り」以上の損失を抱え込んでしまうことになるのかもしれません。

普段からちょこちょこと「損切り」を行なうのは不経済であり、大幅下落の際だけに「損切り」を行なえばよいではないかと言われる方もいるかもしれません。
しかし、「損切り」した時点では、その下落が大幅下落かどうか分からないのです。大幅下落を確認した時点で行なう「損切り」は、単なる「投売り」であり、保険とはなりえないのです。

「損切り」は、人間の持つ本来的な性質に反する行為です。したがって、投資家は自然のままでは「塩漬け」を行ないがちとなります。「損切り」は苦痛であり、できることなら行ないたくないというのが、多くの人の自然な考え方でしょう。

しかし、寝小便をしたまま、その事実を隠し通したとしても、何一ついいことがないのは明白です。反社会的行為に対して、「塩漬け」を決め込んだ者の末路は知っての通りです。
結局、現代社会においては、潔く「損切り」を行なった方がデメリットが少ないのです。

もちろん、意識して「損切り」を行なわない人は、株価が下落しても意識して「保有」(「塩漬け」ではありません)しているのだから、上記の例には該当せず全く問題はありません。
ただ、意識と無意識というのは、その境界が案外と曖昧であることには注意を要するでしょう。

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