雑談:悪いことをするとバチが当たるのか?

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バチが当たらない人を見てモヤモヤしたことがありませんか?

私はこんなに真面目に生きているのに苦労をしていて、どうして道徳に反した人が何事もなく生活を送っているのか。
それどころか意地悪な人や人を騙して踏み台にするような人がどうして楽しそうに生きてるのか。
一方で人に迷惑をかけたり傲慢に生きている人は「天罰などあるわけがない」と思っているケースが多く、それゆえに自分の感情のままに傲慢な振る舞いができるのだと思います。

実際にご相談をお受けしていても「私ばかりが不幸になって、私を不幸にした人にどうしてバチが当たらないのですか!」と、聞かれることも結構あるのですが、それだけ理不尽な経験をしている人が多く、不快感を与えた側にはバチが当たるケースは少ないということです。

そもそもバチが当たるというのはどのような状態なのでしょうか?

バチを与えるのは神様である、という認識が一般的かと思います。
これは私の見解ですが、バチを与えているのは神様ではありません。

神様が罰を与えるのではなく、因果応報により報いを受けることが「バチが当たる」と言う状態です。
悪い種を蒔いた人間に因果の法則が働き、未来の自分に罰を与えているだけで、バチが当たるのは身から出た錆ということになります。

この世には因果の法則が働いていますので、悪いことをしたら悪いことが返ってきます。
悪い出来事として返って来た時はじめて人は、「過去の報いが返ってきたことを知り」深く反省し改めます。

ではどうして、あの人にはバチが当たらないのか?

人はこの世に魂の未熟な部分を正す為にやってきますが、魂の持つ悪を消し去るには「悪はいけないことなんだ」ということを身を持って経験しなければなりません。
しかしちょっとした悪業を積んだだけでは改心できるほどのバチが当たりません。
業が深ければ深いほど、大きなバチが当たる為より深い業をつくる為に泳がされる期間が与えられます。

バチが当たらない期間というのはそれは悪行を積み重ねている段階の為であり、自分にバチが当たり改心する為の準備をしている段階です。
より大きなバチが当たる為に長い間泳がされ、悪業が蓄積されてからまとめてバチが当たります。

「私は直ぐにバチが当たる」という方は、それだけ悪い業を溜めていないということであり、順調な人生を送っていると言えますが、「バチなんて当たったことがない」という方は、長い間悪業を溜めている可能性がありますので、「バチが当たらないのは怖いことだ」と捉え、気づきの観点を持つことをおすすめします。

もっと悪いことに、今世ではバチが当たらない人もいます。
極端な話「今世は悪業積み、来世で反省する」という方もいらっしゃいます。
その場合、バチが当たらないまま生涯を終えることになりますので、カルマ(悪業)は来世に持ち越され、悪業を蓄積したまま生まれ変わることになります。

溜めに溜めた悪業が返ってくる人生がどうなるのか…想像するだけでも嫌になりますが、私たちの魂は今世の一回きりではありません。魂の長い歴史を考えると、バチが当たらないことが如何に不幸なことか分かります。


「バチが当たれ」という感情はあなたにとってマイナスでしかありません。
そのお気持ちも未来の自分自身へのバチを呼んでしまいます。

あなたが手を下さないことはもちろんのこと、そこに気持ちを向けるよりも、自分が幸せになることに気持ちを向けた方が充実した人生を送ることができます。
人には感情があるのでなかなか難しいことですが、人を恨んでも自分に返ってくるだけですので、人の不幸を願うことはしないようにしましょう。



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