こどものころのはなし【HSP芽生期】

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突然ですが、自分のこども時代が好きではない



今、曲がりなりにも大人になった自分が、子ども時代の自分を見るとイライラするでしょう。

だからあまり思い出したくないし、その影響か実際ところどころ記憶が抜け落ちている気がします。







小学校低学年の頃は引っ込み思案でした。学校でも毎日のように泣いていた気がします。周りの大人たちからは「神経質」と言われていました。

神経質という言葉は小学校低学年の頃に覚えましたが、あくまで「短所」として理解されていました。







高学年になると野球に夢中になりました。
近所の年下の子たちを集めて勝手にチームを作って、駐車場だろうが人の家の庭だろうが構わず野球場にしました。
恐ろしいくらい大人たちに迷惑をかけていましたが、一方で、引っ込み思案の男の子が腕白になったと喜ばれることもありました。

自分が一番明るい時代だったかもしれません。





中学に入り、もちろん部活動は野球部を選びます。

ところが野球部という、絵に描いたような団体競技の世界が、眠っていた自分の繊細な神経を再び起こしてしまいます。

結果論ですが、日々大人(監督)の罵声が飛び交う昭和~平成初期時代の熱血系運動部は、私の繊細な感受性にはいささか刺激が強すぎたということになります。

やがて一つの失敗から急激に自分自身を猛烈に否定し始めるようになります。




自分は周りの人よりも劣った存在。
周りの人のようにうまく生きていくことができない。




この思考が明確に芽生えたのはこのころです。
厭世観を常に抱えて持っていました。

自分ではグレてしまったとは思っていませんが、同級生や、周りの大人が自分をどういう目で見ているのか、強がりながらも多分内心びくびくしていました




それでも必死で友達関係にしがみついていました。「外れること」が怖かったのです。







少なくとも中学のころまでは、そんな生き方をしてきました。

友達はいたはずなのに、なぜか一人ボッチだという感傷的な思いは30年ほどたっている今でもぬぐえません。







やはり、このコラムを書いていても、猛烈に胸騒ぎが起こります。 

このように、思春期と呼ばれるこの時期の体験や、得た感覚は、その後の人生に影を落とします。
しかし、その影をどのように操縦するかが大事です




それらの試運転はおそらく永久に続くでしょう。

ここ数年はその「人生試運転フォーエバー」な感覚が、少しだけ自分らしいと感じられるようになってきました






小学生低学年でマイナスの意味で覚えた「神経質」という言葉

今この年齢になって「繊細」という言葉に置き換えられ、素晴らしい感性と能力を持ち合わせていること、そして様々な場所で同じ気質を抱えた「仲間」がいることに、いまだ不思議な感覚もあります。



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「俺たちはクズだったよなあ」

今でもたまに会うこの頃の友人とかわすこの言葉が、とても美しく感じられます。



同じような体験を経てきた方々の心にも「一人じゃない」と言う思いが届きますように。




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