あなたの中に流れ続ける・・・果てしない物語

記事
占い
ありがとう

「はい、和多志たちは、今、ここにいます。ワクワク♪」
「はじめ I の祈り」「ごめんね」「ゆるします」
「愛しあいます」「ありがとう」「そうか、そういうことか〜」

※記事の冒頭と最後に記載されているこの言葉には、強力な浄化作用があります。全ての物事の”始め”と”終わり”に使えるので、一部表現が違います。最後もご覧ください。


こんにちは、みつです。

wallpaperbetter.jpg




今回は、みつが大好きな映画を題材にしたお話です。



みつは戦後生まれで、「すぐ美味しい。すごく美味しい」のチキンラーメンが生まれた昭和33年生まれです。この時代は、戦後の3S政策の真っ只中で、高度成長、バブル、好きな人に連絡をするのは黒電話で家族に取り次いでもらわなければならなかったり、ポケベル・・・車搭載のでっかい携帯電話・・・と、今の若い方には想像できない様な時代を過ごしてきました。

この戦後の『3S政策』の中の一つである、映画(=スクリーン)の中で、これまで観た中で大好きな映画4選を通して得た気づきを物語りました。


みつが大好きな映画 第2位「ネバーエンディングストーリー」
ネバーエンディングストーリーは、「Story in Story in Story」の構造になっています。本の中の主人公、アトレーユの冒険を、「ネバー・エンディング・ストーリー」という題名の物語を読んでいる少年バスティアン。そして、スクリーンを通して映画を観ているあなた...。

この物語は、みつが一番好きな映画です。和オ・ポノポノを学ぶ中で、三位一体(潜在意識と顕在意識と超意識)の秘密が隠されていることを教えてくれた映画です。


みつが大好きな映画第3位 「マトリックス」
マトリックスでは、主人公のネオが、「青と赤、どちらのカプセルを飲む?」とモーフィアスから迫られます。ネオは赤いカプセルを撰び、現実の世界へ目覚め、この世界がデジタル化された仮想空間の世界であることを知り、仮想世界から自分と仲間たちを解放していく物語です。この映画は、「私*たちが現実だと思っている世界は、実は仮想現実の世界なのではないか」ということを示唆しているのだと思います。
*「私」をいつもの様に「和多志」としていないことの意味に気づいてください。

何年も続いたコロナ禍の生活は、見方によっては、リアルゾンビ映画のような閉じ込められた世界観の様相で・・・インターネットやスマホの世界がより身近な現実の世界となり、リアルな世界なのかマトリクスの世界なのか・・・そして現在、それがAIの世界へ移行しつつあります。

このような世情の中で、自分を表現するのはSNSの中だけになり、しかし、そのことで心を病んで、現実の世界で亡くなるという人がたくさんいる・・・という世界が形成されています。


みつが大好きな映画第4位「アバター」
アバターのテーマである、「大自然を破壊し尽くした人間の愚かな行為に、いつになれば気付くのか?」という問いかけは、自然からの声を聞くことを忘れてはならない、という最終警告のように聞こえてきます。 
そして、風の時代を迎えた現代、この世界は潜象界と現象界で成り立っているという、目に見えない世界への理解が深まる中、古代の叡智を思い出し、あなた自身が、自らの新たな物語を描き体験する時が来ました。
(あなたが現実と思っている)仮想空間に、あなたのアバターを創り出し、そこから生活の基盤や経済活動をするという時代となったのです。


みつが大好きな映画第1位「あなたの物語」
みつが一番好きな映画は、あなたが描くあなたの果てしない物語です。
秘法使いみつは、あなた自身の物語があなたの中にあることに気付きを与え、「あなたのストーリーはあなただけにしか語れない」ことを語ります。『あなた自身の果てしない物語を、あなたの発信によってり語り伝える。あなた自身が語り部なのです』という物語を、あなたに伝える語り部(タバター)なのです。(=Story in Story in Story)

今ここから始まる世界では、あなたが自分の物語を描き、あなたの愛の物語りの中から、未来の子供達にどの様な世界を伝承するのか、あなたの中の叡智を伝えていってください。あなた自身の果てしない物語は、今ここから始まるのです。


みなさんは、上の順位の違和感に気づきましたでしょうか?
※この話は小難しいので、「ふ~ん・・・」くらいに聞いてください。

最初は、1・2・3・4という順列でしたが、シャワーを浴びているとふと気づきが降りてきました。2・3・4・1・・・1位は自分自身の物語でないと、またもや、仮想世界を”自分の人生を生きている”と錯覚を起こしてしまう、誰かに憧れて他人の人生を生きる羽目になってしまうと気付いたのです。

もう一つ降りてきたのは・・・「1では気付きは起こらない。2となった時に初めて気付く」という言葉でした。

愛である存在が、「自分が愛である存在」だと気付くためには、愛ではない存在がなくては不可能です。私という存在をに気付くためには、「和多志(三位一体)」という1以上の最低2つが必要になります。物事を気付きから始まる時は、比較する対象(自分以外のものという存在感、何か違うという差、なんか変?という違和感)がないと、気付けないということに気付きました。

現在、カタカムナを学んでいることもあり、1、2、3、4にはとても敏感で、1つのものが現れる(存在に気付く)と、その存在の対になるもの(正反、陰陽、など)対峙するものを探すようになりました。そして2つのものが見つかると、次に「それは必ず三位一体のものとなる」と考え、3つ目を探します。3つ目が現れると、今度は、四魂一霊または一礼四魂の4つ目を見つけようとする・・・いつでも、何でも、「ひふみよいむなやこと」と考えるクセがつきました。

一(ひ)は存在
二(ふ)は正反の対
三(み)は三位一体
四(よ)は循環

循環する事によって、5(い)イカツ<生命が誕生する活力(カツ)というイという原材料が生まれる>が作り出される、と解釈します。

そんなことを何となく考えている内に・・・Youtubeの1本目から、動画の初めと最後に何となくやっていた「二礼三拍手一礼」に対して、『そっか、そういうことか〜』という気づきがありました。
二礼(2)三拍手(3)自分自身が四魂一霊の存在(4)で、最後に一礼(1)・・・気付き(2)で始まり一礼(1)に戻るという循環をやっているのだと、理解しました。

「ひふみよいむなやこと」は、ひ(1)と(10)人が「人」になるまでの過程を表しているのですが、その物語は、またの機会にお話したいと思います。
いかがだったでしょうか?


あなた自身が、決して終わりのない果てしない物語の大切な主人公である事に
気付いていただけたなら、これほど幸せなことはありません。

愛と感謝を込めて・・・はてしない物語さん江。ワクワク。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す