【脳ではなく心情に従う】

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日常的スピリチュアル、安田です。
脳ではなく心情に従うというのは
直感を基準にして従うということです。
直感を頼りにしていく歩みが
求められている今の時代は
考える前に実行してみるという
勢いが必要なのです。
心情というのは
抑えがたい衝動であり
好奇心に近い境地でもあります。
どんな人にも
心情があるのですが
今の時代は
心情を育てていくことで
心情的な歩みが
できるようになります。
感情的というと
何となく良くない
印象がありますが
心情的というと
よく分からなくても
良い印象があります。
時代の恩恵によって
心霊の基準が上がり
心情が芽生えてきています。
心情的な歩みが
できるようになることで
より心霊基準を
上げることができるという
好循環ができます。
徹底的に学んで
脳を鍛えることは
必要なのですが
実行は心情に
従うべきなのです。
なぜなら
脳で考えられることには
限界があるからです。
感情の操縦のためには
論理力を身につけていくことが
必要なのですが
心情的な歩みができることを
目指していくことで
疲れない歩みができるのです。
歩み続けることが
できる人というのは
習慣が身についているのと
心情が育っているので
歩み続けることができるのです。
心情は投入する歩みを
続けることで
育てることができます。
常に投入する歩みをしている人は
真空状態ができているので
心地がいい疲れに
快感を感じています。
その快感を常に感じていたいので
さらに投入することができるのです。
そして、さらに心情が
育っていくので
抑えがたい衝動も
強くなっていきます。
心情が強くなることで
感情が小さくなります。
感情というのは
ときとして破壊や破滅を
もたらすこともあります。
湧き上がってくる思いは
抑えることはできないのですが
感情的に実行してしまうと
自己破壊にもつながるのです。
どのような感情が
湧き上がってきても
論理力によって
操縦することができれば
感情を大きな
原動力にすることが
できるようになります。
ただ、感情の原動力だけでは
限界があるのです。
例えば
「怒り」という感情を
「情熱」に変換することで
情熱的な歩みが
できるようになるのですが
いつまでも
怒り続けることは
できないのです。
感情というのは
時間が経つと
良くも悪くも
冷めてきます。
どんなに怒っている人でも
怒り続けることができないので
情熱も冷めてくるのです。
心情というのは
冷めることはないし
飽きることもないのです。
同じようなことを
繰り返していても
常に新鮮な歩みができ
より投入する歩みが
できるようになります。
感情を原動力にして
歩んでいきながら
心情的に歩めるように
変換することができます。
常に投入する歩みを
続けていくことで
心情を育てることが
できるようになり
考える前に
自然に実行することが
できるようになり
心情を主体にして
歩み続けることが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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