【失敗しても「どうでもいい」という発想】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちの失敗というのは
かすり傷程度のことであり
大した問題でもないのです。
視野が狭くなり、視点が低くなると
目の前のことが全てになってしまうので
小さな失敗が大きく見えてしまうのですが
広い視野、高い視点から見たら
失敗が大したことではないことを
感じることができます。
視野、視点というのは
成長することで広がっていき
高くなっていきます。
子どもの頃というのは
視野が狭くて、視点が低いので
目の前のことが全てに
見えてしまうのですが
成長するにつれて
見えることを広く
高くすることができます。
もし、小学生のときに
教科書を全部忘れたとしたら
「全てが終わった」という
発想になってしまいますが
大人の視点から見たら
大した問題ではないのです。
私たちの失敗も
地球規模、宇宙規模から見たら
大した問題でもないのです。
一個人の失敗など
それこそ、小さな埃にも
ならない程度のことなのです。
失敗したことを
引きずっているのは
失敗した張本人だけであって
誰も何も覚えていません。
たとえ覚えていても
何の興味関心もないし
眼中にもないのです。
今の時代、これからの時代は
新しいことにチャレンジしていくことが
求められてくるので
より失敗するような歩みが
増えていきます。
失敗しながら学んでいく
歩みになっていくので
いちいち失敗したことを
引きずってはいられないのです。
なので
「失敗してもどうでもいい」
という発想が必要なのです。
どんなに最善を尽くしても
完全完璧な歩みはできません。
何をやっても100%ではないので
完全完璧でなくてもいいという
許可を自分に出すのです。
他の人、周りの人が
完全完璧を求めたとしても
自分のペースを崩さないで
歩んでください。
今の時代のリスクは
失敗することではなく
実行しないことであり
チャレンジしないことなのです。
実行しない、チャレンジしないというのは
一歩も前に進んでいないことなので
最大のリスクになってしまいます。
失敗したというのは
実行したということであり
チャレンジしたということなので
後退ではなく
前に進んだということです。
どんなに時代が進んで
テクノロジーが発達しても
私たちの実行、チャレンジは
必要なのです。
人工知能が勝手に
何かにチャレンジすることはないし
何かを目指して成すことはありません。
チャレンジすることは
人にしかできないことなので
チャレンジすることができれば
人工知能にはできないことが
できるようになります。
より「挑戦力」が求められてきますが
一発勝負の挑戦ではなく
粘り強く挑戦し続けることが必要なので
失敗を忘れていかないといけないのです。
失敗から学ぶために
記憶としては覚えておく
必要があるのですが
小さな記憶として
覚えておけばいいのです。
大量の行動をすれば
大量の失敗をするので
失敗する度に落ち込んでいたのでは
だんだん歩めなくなってしまいます。
大量の行動をするのも
経験、体験であり
大量の失敗をするのも
経験、体験であるので
無駄なことは何もないのです。
多くの失敗をしても
大きな失敗をしても
かすり傷程度のことなので
大した問題ではないことを
悟ることができれば
チャレンジし続けることができ
確実に前に進む歩みができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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