【集中力を越えた境地】

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日常的スピリチュアル、安田です。

集中して歩みたいことは
誰もが願うことなのですが
集中できるときもあれば
できないときもあります。
集中力というのは
感情に左右されやすいので
感情の状態によって
集中できるときと
できないときがあるのです。
集中ができなくても
最善を尽くしているのであれば
何の問題もないのですが
できる限り集中力を
保っていきたいのです。
集中力というのは
気合、根性、意志の力で
力むことではなく
感情を土台にすることで
集中しやすくなります。
ただ、私たちの感情は
常に不安定であり
一定を保っていけないのです。
感情を土台にするのですが
不安定な感情を土台にしてしまうと
集中できるときとできないときで
不安定さに振り回されてしまいます。
集中力を越えた境地で
歩むことができれば
集中ができているか
できていないかを
考えることすら必要なくなります。
集中力を越えた境地が
ゲームに夢中になる境地であり
それこそ、寝食を忘れて
没頭できる境地なのです。
何をするにしても
ゲーム感覚で歩めれば
夢中になることができます。
夢中になるときは
感情に左右されないのです。
感情が下がっていても
ゲーム感覚で歩めれば
夢中になることができます。
子どもがゲームに
夢中になるとき
「今日は調子が悪いから
 ゲームに夢中になれない」
とは言いません。
感情的に調子が悪くても
ゲームに夢中になることで
感情が良くなることもあります。
この感覚というのは
遊びの感覚であり
どの世代の人でも
遊ぶことに夢中になった
時期があります。
今の時代、これからの時代は
遊びと学びと仕事が一致します。
何をするにしても
遊びになり、学びになり
仕事になっていくので
夢中になって歩めるのです。
「集中しないといけない」となると
苦しくなっていくのですが
自然に夢中になれれば
集中できるかできないかで
悩む必要がなくなります。
何をするにしても
バカみたいに夢中になれれば
集中力を越えた境地で
歩むことができます。
夢中になるためには
達成感が感じられるような
工夫をしていけばいいのです。
達成感というのは
「今日はここまでやる」と
決めたことができることで
感じることができます。
例えば、本を読む場合
何ページまで読むかを決めて
そのページまで読むことができれば
達成感を感じることができます。
毎日のルーティンの中で
どこまでやるのかを決めて
決めた通りにできれば
達成感を感じることができます。
その達成感の積み重ねによって
より夢中になることができ
その夢中さから、投入する歩みが
できるようになります。
投入するためには
集中が必要なのですが
常に集中できるとは
限らないのです。
自然に集中できる境地が
夢中になることであり
集中を越えた境地で
投入することができます。
今の時代の環境は
集中しにくい環境なのです。
意識が燦爛としやすいので
集中しにくいのですが
夢中になることができれば
環境の影響を受けないで
投入する歩みができます。
投入する歩みができれば
宇宙の法則、原理原則に
合わせた歩みができます。
どんなに時代が変化しても
環境が変化しても
法則、原則は変わりません。
法則、原則の通りに歩むことで
より大きな視野、高い視点から
見ることができるようになり
基準高く歩みやすくなります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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