【成長欲求を悟る】

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日常的スピリチュアル、安田です。

どんな人にも
成長欲求があるのですが
この成長欲求を悟れないと
努力の必要性が悟れないのです。
身体の成長は
ごく普通に生きていれば
自然に成されていきますが
精神的な成長には
努力が必要なのです。
努力することによって
成長欲求を
満たすことができるのですが
成長欲求を悟れないと
努力が苦痛だけに
感じてしまうのです。
成長には負荷が必要であり
負荷をかけていかないと
成長の基準を上げることが
できなくなります。
成長欲求を悟るというのは
本心基準で求めていることを
悟るということです。
私たちの本心が求めていることは
どこまでも成長することであり
成長することで本心が満たされます。
成熟を目指していた時代は
それなりに頑張れば
満たされたのですが
成熟した今の時代では
頑張るだけでは満たされないので
負荷をかける努力をして
成長を実感することで
満たされるのです。
そして、外的な満たしには
限度があるのですが
成長欲求には
上限がないのです。
いくらでも
満たし続けることができ
いくら満たしても
空しくなることはありません。
人の欲求というのは
切りがなく、限りないのですが
外的な満たしには限度
限界があるのです。
その限度、限界を感じることで
成長欲求を悟ることが
できるようにもなるのです。
今の時代の中で
行き詰まりを感じてしまうのは
本心基準の欲求が
満たされていないからなのです。
何となく満たされない
常に何かが不足しているのですが
その何かが分かるようで分からないのです。
努力をしなければ
本心基準で求めている
成長欲求が満たされないのですが
努力することに
苦痛を感じているので
成長欲求を満たす歩みが
できなくなっています。
負荷をかける努力自体は
苦しいのですが
その苦しさの先に
成長欲求が満たされるのです。
私たちの本能は
痛みを避けて
快楽を求めるのですが
この本能に、行き詰まりを
感じられるようになったのです。
痛みや苦しみを
避けようとすることで
本心基準の快楽が
得られなくなるのです。
本能が願うことは
一時的、一瞬の快楽であり
その快楽を満たせば満たすほど
空しくなっていくのです。
なので、今の時代の中で
成長欲求を悟れないというのは
精神的な死活問題なのです。
何をやっても満たされないと
精神的に病んでしまい
身動きが取れなくなってしまいます。
努力をすることで
満たされる時代になったので
現実の環境の不利さ
有利さは関係ないのです。
厳しい環境であったとしても
努力することができるし
有利な環境が与えられても
その有利さを活かせなければ
努力することはできないのです。
努力をすることで
経験、体験を積み重ねることが
できるようになり
経験、体験を活かすことで
より成長欲求が満たされます。
基本的な努力は
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動なのですが
負荷をかけて
基準を上げていくことで
成長欲求が満たされます。
その満たしによって
自然に貢献したくなり
より大きなことを
目指したくなるのです。
成長欲求を満たすことに
目覚めることができれば
自然に努力を続けることができ
努力の積み重ねによって
より高い基準を目指すことが
できるようになります。
私たちの歩みの基準というのは
上がっていくようになっています。
歩みの基準が上がることで
成長している実感ができ
より高い基準を目指す歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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