【無意識に奇跡を願っていることを自覚する】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちは無意識に
奇跡的なことを願っています。
奇跡を願うというのは
努力をしないで
結果を求めることであり
最小の努力で
最大の結果を
求めてしまうことをいいます。
奇跡というのは
何の代償もなく
起こることなのですが
その代償は必ず
何らかの形で
支払うようになります。
最大の努力をして
最大の結果を得るというのは
理にかなっていますが
最小の努力で
最大の結果を求めるというのは
理にかなっていないことは
誰でも知っています。
結果というのは
導かれて与えられるのであり
私たちにはコントロールが
できないのです。
原因をつくる努力は
できるのですが
結果のコントロールは
できないということです。
いかに結果を出すかではなく
原因をつくることに
集中し、投入することで
原則的な歩みができます。
この原理原則は
どんなに時代が変化しても
変わらないのです。
そして、奇跡だけを願う
求めるというのは
危険なことでもあります。
なぜなら
代償なくして得た結果は
何らかの形で
支払うことになるからです。
幸い、今の時代は
奇跡的なことが
起こらなくなっています。
過去の時代では
奇跡的なことを
起こすしかなかった
環境でもあったので
奇跡を起こすことが
できたのですが
その奇跡によって
代償を支払うようになり
犠牲になった人もいます。
今の時代は、現実的に
奇跡が必要ない環境が
できています。
テクノロジーが発達することで
テクノロジーで形にすることができ
形にするために導かれていきます。
私たちの歩みは
時間、空間の制限があるので
大したことができないので
霊的な導き、協助が必要なのです。
努力をした分だけの導きがあり
協助があるのですが
努力をしないで結果を求めるのは
奇跡を願っているということです。
霊的な導き、協助というのは
奇跡を起こすのではないのです。
この世の私たちの努力に見合った
導き、協助ができるのであって
奇跡を起こすことはできません。
現実の歩みというのは
最大の努力をしても
最小の結果しか
与えられないような感覚なのです。
ですが、最小の結果しか
与えられないことで
見えない貯金を積むことが
できているということです。
その貯金は
いざというときに
使われることがあり
環境の限界を越えるときに
使われることがあります。
あるいは、メンタルの病みによって
どうにもできない境地のときに
使われることもあるのです。
無意識に
奇跡を願っていることを
自覚していくことで
原則的に願っていないことに
気づくことができます。
目標を立てることは必要なのですが
奇跡的に達成することを
願ってはいけないのです。
原因をつくることに
集中し、投入していくことで
原則的に願うことができ
無駄に奇跡を期待しなくなります。
現実の環境の中で
努力をして、最善を尽くすことで
霊的な導き、協助によって
結果が与えられるのです。
ただ、結果というのは
願った通りに
与えられるとはかぎらないのです。
そして、いつどのように
与えられるのかは分かりません。
なので、最善を尽くして
委ねて、待っているしかないのです。
コントロールができないことを
原則的に願えなくなると
苦しくなってしまうのです。
結果に対しての
プレッシャーというのは
どうにもできないので
ストレスを抱えてしまい
身動きが取れなくなります。
原因をつくることだけに
集中、投入することで
原則的な歩みができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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