【負荷を避けようとする現代人】

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日常的スピリチュアル、安田です。

努力には負荷が必要なのですが
負荷を避けようとする人が多いのです。
「楽に、簡単に」という
誘惑のキャッチコピーが
あまりにも多いのですが
楽に、簡単にできることを
どんなにやっても成長はできません。
非効率でも
負荷をかける歩みができれば
成長することができますが
負荷をかけなければ
成長することはできません。
成長欲求が満たされることを
求めているのであれば
負荷を求めるべきなのですが
私たちの本能は
負荷を避けようとします。
成熟した時代では
成長欲求を
我知らず求めるようになるのですが
成長欲求は負荷をかけた先に
感じることができ
満たされるのです。
成長欲求が満たされることを
強く求めている人は
楽に、簡単にという誘惑が来ても
「自分とは関係がない」と
自然に断ち切ることができます。
環境が成熟して
テクノロジーが発達することで
効率よく歩めるようになりましたが
努力は必要なのです。
努力をしなければ
成長することはできないし
成長欲求は満たされません。
負荷をかける歩みは
苦しいことなのですが
その苦しさが刺激になり
苦しさの先に
成長欲求が満たされます。
楽に、簡単にできることばかりをしても
何の刺激もないので
空しさを感じてしまい
精神的に病んでしまうこともあります。
今の時代は
自分から負荷を
求めていくべきなのです。
なぜなら、誰も何も
負荷を与えることが
できないからです。
自分で決めたことであれば
心理的な自由を感じながらの
努力ができます。
義務、強制が
通用しない時代であるので
自分で決めなければ
何もできなくなってしまいます。
負荷がかけられる
厳しい環境を求めるか
自分で意図的に
負荷をかける歩みをするかなのです。
自分で決めることも簡単ではないし
尚且つ、誘惑が多いので
本能のままに歩んでしまうと
どこまでも流されてしまうのです。
常に気を張ることはできないので
やるときとやらないときを
極端にしていくことで
メリハリをつける歩みができます。
私たちの本能の無意識は
負荷をかけることを
避けようとします。
この本能の無意識を
自覚することで
成長を妨げる歩みを
していることに気づけるのです。
努力をしなければ
成長はできません。
私たちの本心基準で
願っている成長は
魂の成長であり
精神的な成長なのです。
いくら誘惑が多かったとしても
その誘惑を断ち切るのは
自己責任なのです。
誘惑に負けたとしても
誰も何も責任を持つことはできません。
現代人には成熟した環境の中での
努力が求められています。
生きていくだけであれば
無難に生きることができるのですが
無難に生きることができても
空しさを感じてしまうのです。
時代の恩恵で
寿命が延び続けていますが
長く無難に生きれば生きるほど
精神的に病みやすくなります。
外からの刺激というのは
一時的であり、一瞬なのです。
その一時的、一瞬の
刺激ばかりを求めてしまうと
だんだん麻痺してしまい
刺激が感じられなくなります。
負荷という刺激は
自分でつくることができ
感じることができます。
自分で決めた通りに歩むことで
刺激を感じることができ
その刺激によって満たされていきます。
成長欲求は上限なく
満たすことができるので
どんなに満たしたとしても
空しさを感じることはないのです。
負荷を避けようとするのではなく
負荷を求めていくことで
本心基準の欲求を満たすことができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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