【日常の最善を重要視する】

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日常的スピリチュアル、安田です。

最善を尽くす歩みは
日常の、現実の環境の中で
歩むということです。
当たり前のことなのですが
この当たり前のことが
ぼやかされてしまうと
日常の歩みが
惰性的になり
流されてしまうのです。
「現実を見ろ」というのは
現実の結果を見るのではなく
現実的にできることを
見ていくということです。
結果だけを見てしまうと
それ以上のことが
できなくなってしまい
前に進めなくなります。
現実の環境は
最も厳しいのです。
現代人は恵まれているが故に
より厳しいのです。
いくらでも妥協することができ
いくら流されても、誰も何も
文句を言うことはありません。
ありとあらゆる方向からの
誘惑もあるし
湧き上がってくる思いからの
誘惑もあるので
努力がしにくい
環境ばかりなのです。
かといって
常に気を張りながら歩んでいても
身が持たなくなるので
適度な適当さも必要なのです。
日常の歩みを
どう極めていくかは
誰にとっても
重要なことなのです。
日常の歩みの重要性を悟ることで
現実の環境の中で
着実な歩みができるのです。
子どもの頃というのは
区切りが与えられていたので
区切りに合わせた歩みが
しやすかったのですが
大人になると
自分で区切りを決めないと
いくらでも流されてしまうのです。
現実の歩みというのは
同じようなことの
繰り返しなのです。
常に刺激的に
新しいことをしている人は
そう多くはありません。
同じことを繰り返していると
マンネリ化し、惰性的になり
新鮮さを見失ってしまうのです。
気がついたら
マンネリ化していて
惰性的になっているので
より厄介なのです。
常に新鮮に歩むためには
同じようなことをしていても
より投入する意識で歩むことで
新鮮さを維持することができます。
日常の歩みを着実に歩むには
やるときとやらないときの
極端さを意識することで
集中することができ
投入することができるのです。
つまり、メリハリをつけて
やるときはやる
やらないときはやらないと
決めることが必要なのです。
メリハリの歩みを
意識していくことで
日常の歩みの中で
積み上げることができます。
私たちに必要なのは
積み上げる努力なのです。
一発勝負のような
歩みではなく
確実に積み上げる歩みをすることで
成長欲求を満たすことができ
充実した歩みができるのです。
そして、今の時代は
一人で歩む力が必要なのです。
一人一人で
努力をする内容が違うので
自分の努力をするには
一人で歩める力が求められます。
日常の中で
自己管理、時間管理をしながら
努力をしていくには
より大きなことを目指す
原動力が必要なのです。
目指すことが
大きければ大きいほど
現実の歩みの基準に
満足することができず
基準を上げる歩みが
できるようになるのです。
私たちには時間
空間の制限があるので
無限に基準を上げ続けることは
できないのですが
基準を上げる伸びしろは
かなり残っています。
基準を上げる
意識をしていくことで
今の基準では
満足することができなくなり
基準を上げる歩みが
自然にできるのです。
学ぶ基準、実行する基準
瞑想、運動の基準を
上げていくことで
成長欲求を満たすことができ
日常の歩みを
極めることができます。
流されてしまうこと
惰性的になってしまうことは
仕方がないことではあるのですが
早めに気づくことで
軌道修正ができるのです。
現実の歩みは
ズレては軌道修正
ズレては軌道修正という
繰り返しになりますが
それでも、一歩でも
半歩でも、一ミリでも
前に進んでいれば
確実な歩みができています。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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