【情報整理は無駄】

記事
学び

安田です。
いろいろなことを学び
多くのことを学んで
知識、情報の整理を
しようとする人がいますが
無駄になります。
なぜなら
どんなに学んでも
完全完璧の知識
情報はないからです。
真面目な人は
インプットとアウトプットを
完全完璧にやろうとしてしまいます
知識、情報の基準というのは
あるようでないのです。
時代の変化
流れによって
常識が変わるので
基準も変化していきます。
とくに今のような
変化が激しい時期は
より基準が
分からなくなるので
完全完璧さを
手放していかないと
振り回されてしまうのです。
今の時代の学習力というのは
答えを捜す、見つけるという
学習力ではなく
答えを見い出す
生み出す学習力が
求められています。
答えを見い出すためには
インプットとアウトプットが
必要なのですが
完璧なインプット
完璧なアウトプットはできません。
情報発信ができない人が
多いのですが
「完璧でないといけない」という
生真面目が強いのです。
答えが決まっていることであれば
答えの通りに教えないといけないのですが
答えが決まっていない
あるいは答えが無数にある場合は
完全完璧の答えを
出すことはできません。
もし、完全完璧の答えしか
出してはいけないとしたら
誰も恐ろしくて
情報発信ができなくなります。
マスメディアの情報は
メディアにとって
都合が良いように
情報の操作をしています。
大きな影響を与える
マスメディアが
完全完璧な情報発信を
していないのに「
私たちが
完全完璧の情報発信が
できるはずがないのです。
もちろん
嘘の情報発信は
してはいけないのですが
答えというのは
その時その時で
変化していくのです。
いつの時代でも
教える立場の人が
不足しています。
過去の時代は
教えられる機会
環境が少なくて
特定の人だけしか
教えることが
できなかったのですが
今の時代は
誰でも情報発信が
できる時代です。
最善を尽くして
教えることは必要ですが
完全完璧には
教えることはできません。
どんな人でも
無数の答えの一部しか
教えることはできないのです。
教えられる人が
増えていかないと
今の「総教育時代」が
成り立たなくなってしまうのです。
総教育というのは
全ての分野に教育が
あるということです。
そして
どんな人でも
教えられることが
あるということです。
同じような分野でも
人それぞれで解釈が違い
見え方が違うので
その違いに価値があるのです。
私たちは学校の先生のように
決まった答えを教える教育者に
なる必要はありません。
答えを見い出す
生み出せる教育者が
求められています。
なので
良い意味での
インプット、アウトプットの
適当さが必要なのです。
情報整理をしている暇があれば
情報発信をした方がいいのです。
ある意味、情報発信をしていくことで
情報整理ができるようになり
新しい気づきや
悟りを得ることができます。
その新しい気づきや悟りを
発信していくことで
価値の提供ができるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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