【世話をする意識から投入ができる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

投入する歩みをするためには
世話をする意識が必要なのです。
より大きな目的のために
世話をする意識ができれば
より投入することができます。
今は世話になる
面倒を見てもらうのではなく
世話をする
面倒を見る意識が
必要な時代なのです。
もちろん
全く世話にならないこと
面倒を見てもらわない
ということではありません。
ただ、受け身だけで
いるのではなく
主体的に世話をして
面倒を見る意識が
必要なのです。
例えば、多くの人は
「会社に面倒を見てもらう」と
考えていますが
今は「会社の面倒を見る」という
意識が必要なのです。
使われている身でも
面倒を見る意識でなければ
投入する歩みはできないのです。
会社に限らず
どんな歩みをするにしても
「世話をする、面倒を見る」という
意識ができるようになれば
自然に投入する歩みが
できるようになります。
世話をする意識というのは
位置、立場は関係ありません。
何の位置も、立場も
与えられていなくても
世話をすることができ
面倒を見ることができるのです。
投入する歩みさえできていれば
宇宙の法則に合わせることができているので
他のことは心配しなくてもいいのです。
起こる出来事、現象というのは
自分ではコントロールができないので
導かれるままに導かれていくのです。
私たちにできることは
投入する歩みだけなのです。
どんな環境であったとしても
投入している感覚で
歩んでいるのであれば
委ねることができるのです。
投入する歩みというのは
今の基準の中で
最善を尽くすことをいいます。
自分の基準は
自分で知っているので
最善の基準も分かるように
なっています。
完全完璧の歩みは
できないにしても
最善を尽くしていれば
いいということです。
最善を尽くしていくことで
限界基準を上げることができ
より投入する歩みが
できるようになります。
最善を尽くすために
世話をする意識が
必要なのです。
意識ができることは
今はできなくても
いずれできるようになります。
毎日、一回一瞬の意識を
続けていくことで
意識力を強化させることができ
意識した通りの歩みができるのです。
できていないこと
できそうもないことを
意識していくことは
苦しいことなのですが
意識し続けることで
だんだん麻痺してしまい
自然に意識ができるようになります。
漠然とでも
投入することを
意識していくことで
世話をする意識が
できるようになり
貢献する意識が
できるようになります。
成長欲求は
世話をすることで
貢献することで
満たすことができるのです。
受け身でいながらでは
成長欲求を満たすことは
できないのです。
投入する意識が
できるようになれば
投入する体質になってしまい
無意識に投入する歩みが
できるようになります。
体質というのは
身体が覚えているのです。
頭の記憶というのは
時間が経つと小さくなりますが
身体の体質というのは
いつまでも忘れないのです。
それこそ
身体が動かなくなっても
忘れることができなくなるので
より苦しさを感じてしまうのです。
身体の体質改善と
心の体質改善の
両方が必要なのです。
意識ができなかったことでも
意図的に意識していくことで
心の体質改善ができ
自然に意識ができるようになります。
世話をする意識ができれば
投入する歩みができるようになり
宇宙の法則、原理原則の歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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