【執着することで、投入することができる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

執着というと
良くない印象がありますが
時と場合によって
執着することも
必要なのです。
どうすることも
できないことに対しては
執着を手放すことが
必要なのですが
投入することが
できることに対しては
執着が必要なのです。
執着することによって
諦めない力を強化させることが
できるようになります。
どうすることも
できないことは
諦めないといけないのですが
努力ができることは
諦めてはいけないのです。
何に執着をして
何に執着をしないか
何を諦めて
何を諦めないのかを
明確にしていくことで
できることに
集中することができ
投入することができます。
私たちには
選ぶことが多いのです。
どんなにやりたいことが
多くあったとしても
時間、空間の制限があるので
やることを絞らないといけないのです。
気持ち的には
なんでもかんでも
できそうな気がするのですが
現実的な制限は
逃れることはできないのです。
目の前のことに
集中し、投入することしか
できないのです。
執着ができることには
集中することができ
投入することができるのです。
徹底的に執着することで
より投入する歩みが
できるようになります。
ただ、私たちは
効率よく選ぶことが
できない場合があります。
ときとして
どうでもいいことに執着したり
どうすることもできないことに
執着してしまうこともあります。
理屈では、何となくでも
分かっていることでも
執着してしまうことがあるのです。
無意味なことに
執着していることに
気づけるのに
時間がかかることもあります。
気づける時期
悟れる時期があるのですが
執着に限界を感じたときに
転換することができるのです。
なので
大きな支障がないことであれば
徹底的に執着して
早く限界を感じた方がいいのです。
中途半端な執着だと
かえって執着が
長引いてしまうのです。
気づきや悟りというのは
バランスを崩すことで
得られることがあります。
バランスを崩すというのは
極端にやってみることをいいます。
一見、無駄なようなことでも
極端にやってみることで
集中することができ
投入することができれば
無駄なことには
ならないのです。
無駄なことは
誰でも省きたいのですが
無駄なことから
得られることもあるのです。
執着ができることであれば
徹底的に執着してみてください。
徹底的に執着することで
限界を感じることで
転換することができ
気づきや悟りを
得ることができるのです。
集中したこと
投入したこと
努力をしたことは
無駄にはなりません。
何を無駄にするか、しないかは
自分で勝手に決めることができるのです。
どんな努力でも
無駄にはならないと
決めることができれば
無駄な努力は
できなくなるのです。
私たちが決めた通りになるので
自由に、勝手に解釈して
決めてしまえばいいのです。
ただ、宇宙の法則
原理原則から外れたことは
自分次元では決められません。
日常の中での解釈というのは
どうにでもできることなので
自分の心理に都合が良いように
解釈してもいいのです。
めでたく解釈することが
できるようになれば
無駄な影響を受けないで
やるべきことに
集中することができ
投入することが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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