死生観について

記事
コラム
今日は、「ホリスティックニュースレターvol.106」の中から、「ストレスに負けない自己治癒力を維持する生きかた」から抜粋した「生と死の統合」について、ご紹介させていただきます
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生と死の統合

不安と恐れの種をみつめる
どのような状態になっても、希望を持ち続けるか、絶望的になるかは、その人の「人生観」や「死生観」に起因します。

生あるものにとって、老病死は避けることのできない宿命ですが、時と場合によっては、これを当然のこととして受容するのが難しいこともあります。
人々が抱き不安や恐れについて、ベトナム出身の禅僧でマインドフルネスの実践指導者ティック・ハン師は次のように言っています。

「人が抱く恐れのうちでもっとも大きなものに、死の恐れがある。死を無いことにしたり逃避したりせず、その『恐れの種』をまっすぐに見つめれば、そこから変容が始まる」

ハン師は著書の中で、5つの事実に向き合うことを勧めています。ゆったりと呼吸しながら心の中で唱え、向き合い続けるうちに気づきが訪れるとされています。

【変容を促す5つの確認】
●私は歳をとる。老いからは逃れられない。
●私は病気になる。病気からは逃れられない。
●私はいつか死ぬ。死からは逃れられない。
●いま大切にしているものや、愛する人々はすべて変わりゆく。別離からは逃れられない。
●私は体、言葉、心による行為の結果を受け継ぐ。私の行為だけが継続していく。

ティックナット・ハン著『怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧』(サンガ)より
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死を尊び、死を思う

命あるものは、必ずいつか死を迎えます。
ですから、病気の人のみならず、健康な人も、折に触れて自分の死に思いを馳せ、人生の限りのあることを意識しながら一日一日を大切に過ごしてください。
帯津良一
(医学博士/日本ホリスティック医学協会名誉会長)
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如何でしたでしょうか。
「生老病死」「盛者必滅」「会者定離」
これらは、言わずもがな、命あるものの摂理であり、何人たりともこれらから逃れることはできません。

これを否定的に捉え、逃れられない死に抵抗し、必死に死の不安や恐れに苛まれ続けることは、「大いなる存在」から授けられた命で生かされている「今」を生きておらず、妄想と言っても過言ではないくらい「死」というものに過剰なまでの否定的感情で苦しまれ、死を否定するのと同じくらい「生きるという奇跡」に気づくことが出来ず、心の中で自分で自分に病気を作っていて、もったいない人生観を持つ人だなと考えます。

人生は「今を生きる」ことに精一杯のエネルギーを使い、悔いの残らないくらいの勢いで一瞬一瞬を生きていければ、死への恐怖というものは感じることなどないと思います。

それを逆に、自分の殻から脱せず「死」に対して過剰なまでに抵抗をする人は、実際、死を前にした際、意識がなくなるまで、不安や、悔いや、孤独の恐怖心のまま、黄泉の国に旅立たねばならなくなるのではないかと思えるのです。

大いなる自然の摂理・原理原則について、言葉をもって想念に「受容」させることができれば、いざ、死を前にした際、何の怖れもなく、達成感と安らかな気持ち「死」を迎えることが出来るのだと考えます。

それらのことから言えることとして、人間は体と心だけでなくスピリット(魂・霊性)が備わった有機的統合体として存在しており、これらすべてが健康でなければ真の健康人にはなりえないと思うのです。

「ホリスティック医学」では、この三位一体となった医療の在り方を唱え、全人的に一人のクライアント様に対し、クライアント様の主体性を尊重し、クライアント様自らが、様々な医療を選択・統合し、自己実現を目指していけるように援助していく在り方であり、療法士はクライアント様が人生に悔いを残さないライフスタイルを提供し、真の健康人を培う存在として、感謝と誇りと喜びをもって、それぞれの「補完代替医療」の質を常に高めるための努力を惜しまず、徳の高い人生を享受していただきたいと思います。

最後までご高覧いただきありがとうございました。

             メンタルヘルスナビゲーター KOU


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