ジョージ・ルーカスインタビュー(ポートフォリオから)

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以下はポートフォリオから。ご参考までに。
以前、GQ誌で掲載したジョージ・ルーカスインタビューになります。なお、見栄え上、上記の写真を載せましたが、この記事とは別のものです(2度インタビューしてます)。ルーカス本人は女性に不慣れなオタクって感じで良い人でしたよ。

●ジョージ・ルーカス、デビューの頃は酷評ばかりだった

ジョージ・ルーカスの夏の始まりは早く、公開日はジンクスに基づいている。一九七七年五月二五日に『スター・ウォーズ』(77)が封切られて以来、ルーカス映画の全米公開日はメモリアルディ直前(※5月下旬)と決まっている。

ルーカスにとってはどうでもいいことかもしれない。『レイダース/失われたアーク』(81)は六月に公開され、全世界で三億八千四百万ドルの興収を叩き出したのだから(一方で、スタジオの重役たちは思い出すだろう。八月に公開した『ハワード・ザ・ダック』(86)が惨敗したことを)。

ともあれ、十九年ぶりのシリーズ最新作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』は五月二十二日に全米公開され、オープニング三日で一億ドルを突破した。シリーズ最高の滑り出しを受け、今回ばかりはジンクスに頭を下げたい気分かもしれない。

「インディ・ジョーンズはスター・ウォーズ同様、愛着のあるシリーズだからね」ルーカスは言う。

監督こそスピルバーグに譲ったものの、ストーリー案はほぼ彼の手による。インディアナは昔飼っていた犬の名前だ。「この何十年というもの、インディペンデントであろうと闘い続けてきたよ。自分のスタジオを持ってからはかなり楽になったけどね」

おそらく多くの観客がルーカスとハリウッドを結び付けて考えるだろう。「インディ・ジョーンズはハリウッド映画じゃないのか?」、その切り返しは正しい。実際の話、ルーカスはハリウッドの体制から独立している。インディ・ジョーンズはパラマウントの配給だが製作はルーカスフィルムだ。

「スピルバーグの会社がパラマウントの傘下にあるから複雑なんだけど、僕の立場はインディペンデントだ」

インディペンデントであるためにルーカスは何度も前例のない契約をやってのけてきた。たとえば、ルーカスの資産の多くを占めるのはSWシリーズのマーチャンダイズ収入だ。現在は一兆円のマーケット(シリーズ全体の興収の倍ほど)だが、40年前は誰もそこに関心を示さなかった。

ルーカスは『スター・ウォーズ』で監督料の値上げを一蹴し、代わりにマーチャンダイズ権を手に入れた。「ロイヤルティは玩具代金の20%で」。ディズニーでさえ15%の時代だったのに。

ルーカスは凄腕の交渉人だった。「凄腕というより、フェアは交渉人と言ってもらいたいが」そう言って苦笑する。「子供の頃、父親に言われたよ。『趣味を仕事にするな。人に騙されたり、損をしたりするから』と。結局、好きなことを仕事にしたけど言いつけのひとつは守っているよ。損をしないようにするってことはね(笑)」

損をしないどころか。今のルーカスは世界長者番付の常連だ。総資産は三十五億ドル。実感の湧く数字ではないし、目の前のジョージ・ルーカスを見てもーー紺のニットはおそらくノーブランドだろう。その下はお馴染みのチェックのシャツだーー富豪の匂いはまったくしない。

そんな男が私財を投じ、ルーカス・フィルムやVFX制作のILM、音響制作のスカイウォーカー・サウンドなどを立ち上げてきた。自社で自由に映画を撮るために。

「最初の『スター・ウォーズ』は予算の限られた中でスタジオ映画として作っていた。すごくやりにくい思いをしたよ。だから、二度とそういう状況下で作りたくはないと思ったんだ」

●デビュー作は「ゴミ」と言われた

ルーカスの監督デビューは71年の『THX1138』だ。スター・ウォーズとはまた別の、未来世界を描いたこの作品は学生時代の習作を長編化したものだった。

けれど、映画会社の重役は言った。「まったくのゴミだね。出資したお金を返してくれ」

次に『アメリカン・グラフィティ』(73)を撮った。試写のとき、観客の反応は上々だった。アメリカン・グラフィティ (字幕版)映画会社の反応は違った。「ひどすぎる。人に見せられる作品じゃない」。

結局、プロデューサーの尽力により、ほぼ変更なく公開された。

『アメリカン・グラフィティ』はブームを巻き起こし、その年のアカデミー賞候補になった。作品をけなした人物が後日、どう弁明したかはともあれ、ルーカスは監督二作目にして時の人になった。

「『アメリカン・グラフティ』は自分の人生の中で最大のヒットになるだろうと思っていたね」、ルーカスは当時を振り返る。次に撮ったのは『スター・ウォーズ』だったが『THX1138』同様、受け入れられないだろうと思っていた。

「一方で、とにかく自分が見たいものを作ろうと心に誓ったんだ。以降の成功について聞かれれば、自分の好きなものがたまたま他の人たちも好きだっただけと答えるしかない。デビュー作は誰も見たがらなかったというのにね」

『スター・ウォーズ』の大ヒットを機にシリーズは二作目以降、自己資金でまかなえるまでになった。スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(吹替版)SWシリーズは世界一高額な自主映画である。

先の玩具メーカーはロイヤルティの高さに渋面を作ったが、フィギュアを買ったファンには望むべく話だっただろう。商品購入はすなわち次作への投資となったのだから。

「ビジネスにおけるゴールには辿り着いたと思う。自分が望んだインフラは完成し、制約とか義務感なしに映画を撮れるようになったからね」

●今後は低予算映画にシフトしたい

二年前、自社を集結したレターマン・デジタル・センターのイベントでルーカスはこうスピーチした。「もう一億ドル以上の作品は作らない」

グランドハイアットの一室で、その話題に触れると『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』のポスターに目をやりーー同作の製作費は一億八千五百万ドルだーーちょっときまり悪そうに答える。

「作らないっていうのは監督作のことだけどね。インディはこの時、とうに始動していたし」

今後はプロデュース作品として、アニメーションの『スターウォーズ/クローン・ウォーズ』と世界大戦下のパイロットを描いた『レッド・ティルズ』が控えている。

「どちらにしても規模はそれほど大きくない。だけど、自分が監督をしたいのはさらに小さな映画なんだ」例えば、どのような?尋ねると「『THX1138』のような」と答えて目尻を下げる。

「初心に帰る、といえばそうだな。商業向けの大作を撮る以前にやっていたことをまた始めたいってことだ。ずいぶん昔からやりたかったことである。でも、自分の会社で全てまかなえるようにならないと無理だと思っていた。何故かって、誰も資金を提供してくれないし、誰も見てくれない映画を撮るわけだからね(笑)」

機は熟したというわけだ。ルーカスはテーブルの上の雑誌を手に取る。彼が表紙を飾った二年前のGQだ。いい写真だね、周囲が言うと満更でもない顔を見せる。「持って帰ってもいいかな?」そう言った。

初めてメディアに登場したのは18歳の時だ。映画人としてではない。交通事故のニュースだ。のちにインディ・ジョーンズを生み出しただけはあり、悪運は強かった。大木に衝突する直前、シートベルトが切れ、車外に放り出されたのだ。新聞は奇跡の生還を告げた。

青年はスピード狂から足を洗い、大学に通った。そこで映画を発見した。事故と映画の因果関係を見出すにはわらしべ長者の寓話よりは無理がないだろう。

彼は今年、六十四になった。「僕は映画が大好きなんだ」ルーカスは言った。インタビュー時間はほとんど残されていなかったが続けた。十八歳当時から変わらない髭もじゃの顔で。

「撮りたい作品はたくさんある。アイデアがあり過ぎて一生のうちにどれだけ撮れるかが心配なくらいだ。いかに多く撮るかっていうことが自分の人生のゴールだと思っているよ」

(ジョージ・ルーカス)1944年カルフォルニア生まれ。71年に『THX1138』で監督デビュー。『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』のシリーズで世界的なヒットメイカーになる。ジョージ・ルーカス教育基金を始め、次世代の育成にも積極的な姿勢を見せる。
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