ターミナルケア(死と向かい合うたびに思うこと)

記事
コラム
癌に限らずある程度の年齢になってしまうと、一日一日生きていくのが精一杯になってしまうので、体力が落ちる手術やきつい副作用がある治療などせずに、QOLを保ったほうが良いのか、本当に悩むところですよね。

※QOL Quality of Life 残りの人生を患者が自分らしく納得のいく生活の質の維持を目指して生きる事。(症状や治療の副作用などによって治療前と同じようには生活できなくなる場合に選択する)

先日、前々から徐々に持病が悪化していた、父が亡くなりました。

脳内出血を起こし半身麻痺状態になって、13年間は家で過ごしていましたが、継母が高齢になったため3年前から施設に入所していました。
その父の持病が悪化し透析が必要になりましたが、施設から透析病院までは介護保険の管轄ではなく、医療保険の管轄になり、送迎は家族がやらなければなりませんでした。

私は幼い頃私の両親が離婚してからは、ずっと祖母の下で養育され父の再婚後も祖母の下に残り、父と新しい家族とは同居する事はありませんでした。
そういう事情があるので、月に1度位のペースで施設に面会に行ってました。

父に透析が必要になったから高齢継母も送迎はできないので、私の自宅傍の長期療養型病院に転院させ、私が透析に連れて行こうか?と提案しましたが、継母は「もう何年も介護して疲れちゃったから自然で良い」とターミナルケアを選択しました。
※現在、施設入所でもターミナルケアをしていて、看取りサービスと呼ばれて言います。

父の病状は半年過ぎた頃から急激に悪化していき、1月には食事もできなくなり一ヶ月で5.5kgも痩せてしまい、2月は継母と施設の医師の説明を聞きに行ったりバタバタしてました。
今後何かあったら、高齢の継母や地方に住んでる異母妹では対応できないと思い、施設への緊急連絡先の変更や平行して葬儀の見積もりなどやってました。
継母の希望を聞き、何度も何度も祭壇の打ち合わせをし、亡くなる4日前に副葬品を持って帰ってきてましたが、満を持したように全部整った時に父が亡くなりました。
施設で30分おきに、巡回してくれてたようでしたが、すでに事切れていたようです。眠っているような穏やかな顔でした。

亡くなった日に異母妹が上京する予定で、未明の死には間に合いませんでしたが、翌朝遺体の引取りから、翌日通夜、翌々日葬儀とトントン拍子に終わることができました。

長患いだった父が、葬儀の準備、日曜通夜・月曜葬儀と異母妹の上京や家族の仕事の休日に合わせてくれてたようだね。最期は家族孝行をしてくれたね。とみんなで話し無事に終わらせる事ができました。
父は一人っ子だったので、家族だけで暖かく見送ってあげました。
継母の希望通り、無宗教で花祭壇で執り行いで行い、華やかな色とりどりのお花で見送ってあげました。

祖母が亡くなった時も同じ事を思いましたが、人生何十年と生きてきて、最期は幸せだったのかな?と毎回考えてしまいます。
若い頃は自分で考え行動もできるけど、やがて体の自由が利かなくなり、施設に入所して同じ様な毎日を送る・・・食べる事や家族の面会だけを楽しみに生きてるのかな?など、色々考えてしまいます。

自分自身もそうなのですが、時が流れるのがゆっくりと感じられるようになったら、それが老化なのかなぁ?と最近思います。
ゆっくりと時が流れる中、一日一日精一杯生きるのが、日常生活で生きていることを実感できるのが、人生のファイナルステージの楽しみなのかな?と・・・・
そう思うと、なんの変哲もない一日一日が、生きるためにとても充実した日に思えるのかもしれませんね。

こんな事言うと、「考え方が妙に年寄りみたいだよなぁ・・・早死にするぞ!」「まだ、そんな年じゃないだろ!」と怒られますが、祖母に育てられて、老いの過程で祖母が実感していたことを、私に話していてくれていたから、その事をだんだん自分が実感できる年齢に近づいてきたからなんだろうなぁ・・と思います。

子供の頃、ばーちゃんが口癖のように言ってました。
「今は言ってることがわからなくても、お前が大きくなって、ばーちゃんの歳になったら、わかることだから、覚えておきなさい!」

はい、その通りです。ばーちゃんw
ばーちゃんが自らの人生で学んで教えてくれたことは、私はちゃんと覚えていますよ!ありがとう。
人の生き様は教科書にも書いてないし、机上論でもありません。
人生の先輩が教えてくれる事で、その人その人がその年齢で感じた現実の事なんです。
だからばーちゃんに限らず、私はお年寄りの話を聞くのが大好きな子供でした。

人生の先輩に色々教えてもらい、吸収し今の「私」があります。
自分を認め、自分を飾ることなく、身の丈にあった生活をし、自分の感性を大切にして生きる事ってすばらしい事ではありませんか?
それを受け入れることができると、とても心が豊かになり、それに合わせてゆっくりと、時が付いてきます。
そしてそれを出来る人だけが老いを受け入れられ、やがて死も受け入れられるようになっていくことでしょう。

祖母がよく言ってました。
人間は生まれる時も死ぬ時も一人なんだよ。
人の事を当てにしないで、自分で自立して生きていける大人に育ちなさい。
そして、悔いのない人生を送りなさいと。
これは社会人として働いていて、追われるようにバタバタと時が過ぎてゆく時代には、感じられなかった事です。
若い頃から時が来たら早めに仕事を辞め、自分が本当にしたかった事をやってみたいと思ってました。
身体も頭もついていけなくなってからでは出来ないからこそ、余力がある年齢に達した時にリタイアしようと思ってました。
今その年齢になって好きな事を学びに行ったり、大型連休以外に旅行に行ったりして楽しんで、残りの人生を人より多く楽しんでいます。

そして時間に追われることなく生きられるようになった今、時がゆっくりと流れ、少しずつ体力の衰えを感じ、老化を感じることが出来るようになってきました。
このゆっくりとした時の流れは、私には至福の時間でもあります。
自分の身体の変化を自然に受け入れ、時の流れに身を任せて生きていく事ができるからです。
無理をしない生き方って、素敵な老い方だと思いませんか?

7年前に亡くなった父の事を、当時書いたものに、加筆修正しました。


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