唯心論のすすめ

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コラム
「すべては心がつくっている」

という考えが、
あなたにとって、
「リアル」になると、
ずいぶんと仕事や生活が変わってきます。

「すべては心がつくっている」

という考えは、
「唯心論」-唯(ただ)、心だけがある-
という、仏教では正統の考え方です。

特に唯識仏教、ゆいしきと、よびますが、
これは、世界最古の深層心理学、潜在意識心理学
ともいってもいもので、まさに意識もできないくらい
奥にある心が、現実をつくっていると教えています。
(識とは心のはたらきの一種。認識の識。)

補足をすれば、
心理学とはいいましたが、
正確にいえば、現代でいう科学としての
心理学とはいえないかもしれません。

色即是空というくらいです。
身体という物体には本来、実体が無い、
というのが仏教ですから、
心理という実体も存在するわけではありません。

「不可思議なわたしのいのち」のはたらき、
というとらえかたの方が本来に近いと思いますが、
わかりやすくするために、
以下のお話は、
深層心理、潜在心理ととらえても構いません。

とにもかくにも、
わたしたちの奥には、
普通の意識ではとらえられないけれども、
わたしたちやわたしたちの世界を映し出している
「深い心の部分」があるというわけです。

それを、唯識仏教では、
阿頼耶識(アラヤ識)とよびます。

わたしたちの心には、
種子があるといいます。
(しゅうじ、と呼びます。)

種子から芽から出るように、
この種子という心の種が育って、
わたしたちの現実というものをつくっていきます。

この種子には、
さまざまなものがつまっているといいます。

善い考えや行い、悪い考えや行いの結果など、
わたしたちが個人で生まれてから今まで体験したもの
だけでなく、生まれる前の生命から今のわたしたちに
まで続くあらゆる体験が詰まっているのです。

無限ともいうべきいのちの結果がぎゅっと
つまったものがわたしたちの深い部分にあって、
今のわたしたちの人生をつくっている。

だから、
唯識仏教では、
それをしっかり見つめて、
よく育てていくことで、
よい人生をつくっていこう、
と教えています。

それにより、
種子の中に無限の過去から引き継いできたものも
きれいなり、もちろんそこから生まれるこれからの
未来もよいものになっていく。

無限の過去からのいのちの…
なんて言われると現代のわたしたちには、
おとぎ話のように聞こえますよね。

でも、実際、現代のわたしたちにも、
遺伝子、DNAと置き換えてみると
そう違ったことを言っているわけではありません。

ともあれ、
唯識哲学では、
「心」と「外」の世界を別々に実体のあるもの、
と考えることから、
すべての迷いや苦しみは生じると考えます。

「外」は、
わたしたちの思い通りにならないことだらけです。

「お金よ出でよ!」といっても出てこないから悩みますし、
好きな人だけなく、嫌いな人もいるから、人間関係に悩みます。
仕事でも、思い通りにならないことはたくさん。

しかも、わたしたちは、
思い通りにならないことを思い通りにしようとして、
やっぱり思い通りにならなかったときに
もっとも悩むし、苦しみます。

たとえば、
嫌いな誰かをなんとかしようとしても、
その人に対して何とかしようとすると、
相手もあなたに対して思い通りしようとしますから、
あなたはやっぱり受け入れられない。

また対立やあつれきが起こるだけです。

その姿は、
「外」に振り回されている姿といえます。

もちろんわたしたちは、
「外」の世界の、お金や人間関係や、
いい食事や住まいや、いろんな体験の中で
生きていますから、「外」を考えて、
しっかり対処することは大切です。

とはいえ、
本来、思い通りにならないものに
自分の生き方の基準をおいてしまって、
外がよければ自分もご機嫌、
外が悪ければ自分も不機嫌。

こんな感じで、

「外」に右往左往しているのは、
考えているともいえるのでしょうか?

一般的には、それを

振り回されている、

と言います。

もっとも大切な自分自身という
「心」を忘れてしまっているのです。


「心」が定まっていれば、
「外」がどうであっても、
ふりまわされることはありません。

「心」にしたがって、
ひとつひとつ対処するだけです。

もし、あなたが

「いつも笑顔でいる」

と「心」で決めたら、
好きな人の前でも、
嫌いな人の前でも、
笑顔でいるだけでいい。

好きな人か、嫌いな人か、なんて
「外」の基準の移り変わりには振り回されません。

「外」がどうであっても、
「あなたは」いつも笑顔でいる。
そんな自分自身でいる。

そう決めたら、
ずいぶんと生き方はシンプルになります。

どんなときでも、
笑顔のあなたなのですから、
好きな人はもちろん、
嫌いだった人もさすがにいつも笑顔あなたの前では、
ひとりだけブスッとし続けるのもきついものがあります。

だから、わざわざ軋轢を生むような
態度も少なくなってきますし、
気が付いたら、嫌いだった人も、
笑顔を返してくれるようになってくるでしょう。

つまり、
「外」の現実が変わったのです。

仕事上の問題でも、
面倒くさいと思えば、
いつまでたっても面倒くさいものですが、

問題をチャンスに変えようと
いちど「心」で決めていれば、
実際それが成功のきっかけになったという話は
ゴロゴロ転がっています。

もし問題がなかなか
チャンスにならなかったとしても
「心」で決めていれば関係ありません。

どんなときでも、
問題をチャンスに変えようと思って、
またシンプルに張り切るだけです。

「問題」にはふりまわされない。
「心」基準でありつづける。

これを、
自然体と言い、
自分らしさと言います。

「すべては心がつくっている」

という唯心論は、
仏教の別のことばでは、
「一念三千」といったりもします。

一念、つまりひとつの心が、
三千、つまりあらゆる世界を変える、
というほどの意味です。

それが、物理学的にとか科学的に
正しいかどうかという議論は
また別のどこかでやってもらうとして、

わたしたちの
今の仕事や生活の質を
シンプルにして、
自然体で自分らしくしていくためには、
とても有効な考え方です。

花は、単に花であるだけ。

でも、
あなたの「心」が「綺麗だ」と思うから、
花が「綺麗」なものとして、
あなたの世界に現れているのです。

唯心論、
せっかくの昔から伝えられてきた知恵、
いまのわたしたちにも活かしてみませんか?






































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