この現代社会を生き抜くには、それなりの哲学が必要である。
そして、哲学の基本とは、
「全てを疑うこと」だ。
私たちは、普段、よく考えて行動していない。
考えているつもりでも、深く思考した後に行動を起こすパターンは、そうそう多くないのだ。
この「思考停止」こそが大問題なのである。
何についても、深く考えてみることが大切だ。
例えば、「お金」についても、よくよく考えてみると、何かおかしいな、と思えてくる。
私たちは、普段、何気なくお金を使っているが、
「お金とは何か?」ということについて、深く考えた人がどれだけいるだろうか。
つまるところ、お金とは信用を母体とする情報である、ということができる。
貨幣や硬貨自体に価値がある訳ではなく、金額が示す情報にこそ価値があるのだ。
つまり、預金通帳だったら、そこに印字されている数字にこそ意味があって、現金そのものは単なる「お金」という存在の代替物に過ぎない。
そう考えると、お金とは実体のないものであり、極めて曖昧な存在である。
そうなると、お金の価値は無限に生み出せる、ということに気付く。
私たちは、ブランド品を買うとき、その商品の実用性や、有用性に対価を払う訳ではない。
あくまで、その「ブランド」の情報的価値に対価を払う訳だ。
だから、その情報的価値を如何に高められるかが、商品の価格設定という問題において、勝負になってくる。
こんな風に、物事について深く考察することは、新しいものの見方に気付かせ、新しい価値を生み出すことに繋がる。
じっくりと考えよう。
「人間は考える葦である」なら、まず考えてから動くことが基本中の基本のはずである。