「『恥ずかしい』という感覚のない私」

記事
コラム

おはようございます。

「恥の多い生涯を送って来ました」とは、太宰治の「人間失格」の冒頭の一文ですが、私もまさにそうなんです。

今まで、考えられる限りの「恥」を経験してきました。

従って、ちょっとやそっとのことでは、「恥」を「恥」とも思わなくなりました。

日本は、古来より「恥の文化」が横行して来た国なので、みんなとても外聞を気にしますし、外面を大切にします。

親も子供に、
「~すると恥ずかしいよ」とか、
「~してると笑われるよ』などと教えます。

そういったことで「恥」という感情が形成されていくのですが、不思議なことに私にはそういった恥の感情が、全くありません。

と言うと、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、まあ、かなり恥に対する耐性はある、というのが本当のところです。

私は、やはりそういうことも大切だと思っていて、恥ずかしいことを経験すればするほど、恥に対する耐性が付いてきます。

恥ずかしい、と思うことで人生において大切な決断を誤ることも多々ありますし、恥を恥とも思わない厚顔無恥さというものも、やはり大切だと言えます。

私は、やはり天才ですし、どちらかと言うとマイノリティ寄りの人間だと自分では思っています。

長い間、閉塞感に覆われている、この日本と言う国においては、やはりマジョリティに属している人間の方が生きやすいのでしょうが、私は、このままでいいと思っていますし、自分の生き方を変えるつもりも毛頭ありません。

自分は最高に素晴らしい人間だと思いますし、常に自分を最優先にして生きています。

そもそも、マジョリティのほうがマイノリティより生きやすい、ということも自分には今ひとつピンと来ません。

そうやって大勢に迎合し、自分を殺して生きる方が、むしろずっと生きづらいだろう、と思ってしまいます。

恥知らずな生き方、私は大好きです。w






サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す