オレオレ詐欺など、論理的に考えてみれは、おかしいことがありますよね。
論理、つまり理屈は自分を守るすべなのです。
我々は、まず理屈ということを教え込まれてきました。
でも、理論で証明できないということは結構あります。
それは、証明が不可能であったということではなく、
理論自体は正しいのですが、証明をできる人がまだいなかったという場合もあります。
フェルマーの最終定理などは、長年かかってやって証明できました。
ですから、理論で証明をできるものについては、万全の信頼をおいても、
理論で証明できないものについては、否定的な態度を示すのではなく、
まだ証明できていないだけかもしれない。
つまり、それが成り立たないという証明ができない限り、
ニュートラルな姿勢で扱うのが重要と思います。
例えば、宇宙人がいるかについては、証明ができていないのです。
ここで、宇宙人がいないという証明ができていないからといって、
過度な心のブロックになることは弊害と思います。
霊的なことでもそうです。
霊の証明できないということは、霊がいないとこととは違うのです。
証明できないということは、できないことを証明できたということとは違います。
つまり、新しいことを学ぶときに、理屈が知らず知らずのプロックなっていることがあります。
理屈でわからなければ、ということを手放すことも時には必要です。