「シン・ウルトラマン」の難しさ

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以前、「好ましいけど、総体としてダメだった映画」などについて、どこがダメだったか、どうすれば良かったんだろうかと、日記などで考えていた。
……で、今回、遅ればせながら見てきた「シン・ウルトラマン」がなぜダメだったかについて、久しぶりに考えてみよう。

「シン・ゴジラ」はおもしろかった。
でも、「シン・ウルトラマン」は、正直なところ、私には眠たい映画だった。
なぜか。
ついでに、なぜゴジラはハリウッド映画のヒット作が出て、ウルトラマンは世界展開できていないのか(子供向けのTV放送や、マニア向けは、エンタメ作法では考慮しない)。

ひとつは、勢力図。
特に、「シン・ゴジラ」は分かりやすい。
ゴジラVS人間、そして人間の中のいろいろな葛藤(政治、組織、恋愛等)が描かれる。
比較的きれいな三角構造に、あの強敵ゴジラにどう立ち向かうか、という、ぶれない根幹があるので、単純だが、見る者を引きつける。

対して、「シン・ウルトラマン」の構造は分かりにくい。
怪獣VSウルトラマン、加えて、人間の中の葛藤に謎の宇宙人、謎の宇宙人2、光の国のゾフィー。
ぐちゃぐちゃとした構造に、どんなに強い敵でもウルトラマンが出てくれば解決、という答えが出ているので、客を引きつける要素が十全ではない。

加えて、謎の宇宙人の狙いと、人類側の危機感の欠如。
「シン・ゴジラ」が、首相をヘリごと爆殺したのに比べると、今回は、ほとんど人死にが描かれていないのではないか。

もちろん映像は良かったし、台詞回しもおもしろい。
それでも私には眠かったのは、そんなふうに上記の構造的な難しさと、危機感の欠如が、大きな要因だったのじゃないかと思われた。

……ならばどうすれば良かったか?

まず窮地。危機をつくりださねば、エンタメとしては物足りない。
ざっくりいえば、もっと町を破壊し、政治家役人もろもろ殺せば、危機感が強まったはず。

それから、怪獣の出現からウルトラマン登場、別の異星人、光の国、地球の破壊と、たぶん、作者サイドの好きな要素を盛りすぎた。
ゾフィーは削った方が良かったろうし、別の異星人を出すのも早すぎた。
ウルトラマンの存在を、「感情では受け入れないが理性で受け入れよう……」みたいな台詞で納得させていたがその直後に、別の異星人、さらに光の国設定まで出すのは、無茶だったのじゃないか。

……さらに、余計なことを考える。
最初からウルトラマンがいる前提の世界にしてしまったらどうか?
観客にとっては、ウルトラマンの出現に驚く描写は不要。だが、そんな都合のいい巨人は実際の社会にはいない。
となれば、どうだろう、なぞの怪獣の襲撃で現実の自衛官が殉職。異世界転生した先の並行世界では、科特隊が存在し、ウルトラマンと連携して怪獣と戦うのが当たり前だった……とか。

……それでは、怪獣はどこから、なぜ出現するか?
実は怪獣は、この世界の秩序を乱す巨人ウルトラマンを倒すために、遙か宇宙の彼方から送られていて……(やや、どこかで聞いたことある設定だ)

無論、簡単じゃない。
過去作と陳腐化、観客や製作チームの期待、監督の意向、、あれこれ戦いつつ仕上げるのだし、今のままで好きなファンも多いだろう。興行収入40億円突破らしいので、私などの及びも付かぬ成功作品といって良い。

ただ、私には、物足りない思いがするものであって、それが奈辺に起因するかを考えるのは、避けがたい性分である。

……ちなみに、こんなことをブログに書くのが、良いことかは分からない。
不適当な気がすれば消しますし、問題なさそうなら、このまま残します。

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