私は2万分の1じゃない

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「名前がないと、命の重さが曖昧になる」
「テニスの全米オープンで優勝した大坂なおみ選手の思いをそう解釈した」 

新聞の紙面に見つけた一文だ。 
そして、こう続けている。 

「彼女が決勝までに着用した七枚のマスクには、一枚に一人ずつ 
警官などに殺された黒人被害者の名が記されていた」 

被害者の数だけ見れば、毎日流れる事件のひとつだ。 
ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動の括りの中にある。 
でも本当は、名前の違う7人それぞれに起きた事件が7件発生した。
そういうことだと思う。


ビートたけしさんがこんなことを言っていた。

「それを数だけで語ることは怖いこと。 その一人一人に家族があるわけで、 
5000回のドラマがあるということを 考えなきゃいけないんだ」 

「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。 そうじゃなくて、そこには
「1人が死んだ事件が 2万件あった」ってことなんだよ」 

2万人という塊でなく、「1人が死んだ事件×2万件」と考える。
重みが違います。 こんなことを思うと落ち込みます。
でも、私だって2万分の1じゃない。
8万の1となれば、さらにその重みは軽くなる。
今、情報の中で数字がどんどん巨大化しています。 
自然災害の犠牲者も、飢える子供の数やコロナの感染者数も 
数字の巨大化に鈍感になっています。 
だから、毎日の貴重な出来事もただ流れるのみです。 

気づいたら、少しでも想像力を使いたい。 
不幸な出来事を数で感じるのではなく、ひとつひとつの重みを感じたい。 
それは、自分の重みを取り戻すことでもあります。 

私は2万分の1じゃない。


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