小説『天命の掟RaTG13(仮題)〜〜八ヶ鬼岳の遠望〜〜』002

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小説『天命の掟RaTG13(仮題)〜〜八ヶ鬼岳の遠望〜〜』

                        飯山満とらむ


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 虫共国が発生地となる新型のユロナヴィールスで引き起こされる伝染病がパンデミックとなり、世界各地で発病した患者が死に至っていた。この新型のヴィールスは何モノなのかを知りたくて、高野山健司博士を訪ねていった。高野山健司博士はヴィールス学の専門家で、特に動物から人間に感染るヴィールスの専門家としては世界的に知られた学者さんであった。
 新型のユロナヴィールス表面にはタンパク質がスパイク状の棘のように突き出したツノ部分があって、この棘状タンパク質のスパイクが人間の細胞膜上に現れ出てくるACE2と呼ばれる蛋白質構造部分に接触すると、蛋白質どうしで接着してしまうのだそうだ。高野山健司博士によると、動物の細胞膜に於いても同様にACE2なる蛋白質構造が膜上に現れ出てくるのであれば、その動物の細胞にも新型のユロナヴィールスは接着するであろうとのことである。ACE2接着を介して細胞内部に入り込んだヴィールスは、細胞のもつ遺伝子配列の増幅機能を利用して自己増殖を始める。つまり、ヴィールス伝染病の感染と発病が始まる訳だ。但し、ACE2タイプの蛋白質構造は全ての細胞の膜上に現れ出てくる訳ではなく、ある特定部位の細胞の膜上に現れ出てくるという。それは、喉や肺、血管内皮などに多く現れ出てくる。故に、咽喉上部細胞に現れ出てくるACE2に対して付着した新型ユロナヴィールスが細胞内部に入り込み、感染、発病へと至る事例が圧倒的に多いという。
 このヴィールス伝染病の感染から身を守るにはどうしたらよいのか。高野山健司博士によれば、現在のところ体内の免疫力を高めるしか方法は無いとのことであった。
 長い年月を経ることを受け入れるのであれば、良質のワクチンが開発されて安全に免疫力を獲得することができるが、そもそも、良質のワクチンが完成した時には相手のヴィールス自体が変異を起して良質ワクチンによる抗体が既に効かなくなってしまっている場合も考えられるし、急速に短期間のうちに大量の安全・良質で役に立つワクチンを開発・製造することは難しく、危険性も内在する “悪チン” も存在するので、新ワクチンが役に立つ “役チン” なのか、それとも “悪チン” なのか、それを見極めることさえも時間はかかるとのことである。
 “悪チン”となってしまうようなワクチンの副反応の例としては血栓症の発症の事例があるという。それは体内に入ったワクチンが血液中で免疫性血小板減少症を誘発してしまう体質の人が世の中にはおり、その場合には最終的に病状が血栓症に至ってしまうというものだ。ワクチン副反応として血小板第4因子(pf4)に対して抗体が出来てしまうと、血小板が血液中で過剰に活性化され、活性化された血小板は血液中で血の塊りへと変貌し、これが血栓症の原因物質となる。同時に血小板が血塊に変貌することで血液中の血小板自体の濃度は低下してしまい、免疫性血小板減少症の病態に陥る。一方、血液中で血塊と変貌した元血小板は血塊状態で血管内を彷徨い、結果、血流を妨げ、脳静脈洞血栓症、肝臓門脈血栓症、肺塞栓症、深部静脈血栓症などの血栓症を発症させていくという。

 丸谷涼美がこのヴィールス伝染病の感染に打ち勝つ高い免疫力を獲得したいと思ったのは当然の成り行きなのかもしれない。丸谷涼美は幼い頃に遊んだ禅寺の境内で和尚より、
「お坊さんの中にはのぉ、修行として ”滝行“    を行うお坊さんもおる。あれを行うと体内の免疫力ってのが高まってのう。風邪など引かなくなるそうじゃのぉ」
という話を聞いていたのを思い出した。
 『そうだ、滝行をしてみよう!』
そんな思い付きが丸谷涼美の脳裏に浮かんで来た。
季節がちょうど茹だるような暑い夏の季節を迎えようとしていた時期であった為、そう思い付いたに違いない。もし、それが季節の寒い冬であったのならば、思い付かなかったに違いない。

・・その夏は梅雨が明ける前から茹だるような暑い日が連日続く夏であった。

かねてより滝行を行おうと思っていた丸谷涼美に田中舘勘介からお誘いが来たのはそんな蒸し暑い夏の時分ことだ。丸谷涼美は学生時代から懇意にしている田中舘勘介から暑さ凌ぎの為に藍柿沢を訪れてみないかと誘われたのである。街の市民プールはどこも涼を求める民衆で満杯状態。芋洗い状態のプールはまるで混雑した銭湯風呂のようで行く気がしない。かと言って一人で藍柿沢に入渓するのは危険であることから田中舘勘介は気心の知れた丸谷涼美を誘ったのである。勘介と涼美は互いを『ダテちゃん』、『マルミ』と呼び合う仲で、学部時代にはよく沢登りを行なっており、ロープを使った沢筋登攀には熟達した技量を互いに備えていた。

黒根川は太平洋にその清流を流し込む渓流美の鮮やかな河川である。上流には大きな一枚岩を幾つも抱えて一級の渓流美を誇る藍柿沢がある。藍柿沢の支流である右俣は特に美しい沢で、藍石と呼ばれる青味がかった岩石の宝庫として知られており、古くより庭石としても用いられてきた。
 日本庭園には山水美を表現したものが多く、平安・鎌倉時代の上流貴族の中には、わざわざ水流を近くの沢筋より引き込んで邸宅の庭園水流に流し込んだ者もいる。寝殿造り様式などはよく知られているところだ。山水庭園ではこの時、庭園水流に藍石を配置すると庭園景観が引締まり、藍石の青味色と水流飛沫の白、植物株の緑、紅葉時期の黄・赤とが相まってそれは見事な渓流美の再現を庭園に浮かび上がらせてくれるといわれている。

 丸谷涼美が沢登りを始めたのはアルバイトで始めたフィットネストレーナーを体型面で維持する為の身体造りからだった。フィットネストレーナーとして身体のシェイプアップを維持する為に当初はジムトレーニングをしていた涼美であったのだが、階段登高が腰から太腿ににかけてのシェイクアップに最適であることに気付き登山を始めると、一般的登山が単調で退屈であったことにより、一般登山から沢登り登攀へと転向したのである。沢登りは一般登山と異なり、登高ルートとなる道中で環境が目まぐるしく変化していくものであり、また、事前に作られた登山道などという『道』を歩いて行くものではない。身を置いた沢筋に自分が前進出来得るルートを自分で探しながら登高して行く。前進して行く沢筋には登山道などという既成の道は無いのであって、常に前進出来得るルートを自分で見い出していく所謂 “ルートファインディング” が要求される。故に、登高中に単調さからくる退屈というようなものがない。意識がルートファインディングに集中してしまっている間に下半身の筋力がいつ知れずと鍛えられてしまっていくのである。トレーニングに必ず付きまとって来る ”苦行“ といったものがそこには見られない。その点に気づいた涼美は沢登りという身体のシェイプアップ法にのめり込んでしまったのである。今では涼美の身体は沢登りというシェイプアップ法によって鍛えられ、かなり引き締まった体躯の持ち主となっていた。とにかくヒップラインが引き締まったその体躯はアフリカ系陸上選手やスピードスケート選手が走り終えた後に見せる腰の直ぐ下の尻肉が上向きに突き出るアスリートの体型を維持しているのであった。


 藍柿沢には幾つもの美しい滝が掛かっていて、二人が目指す滝壺が大きなプールとなっている大滝地点までは下流部で滝を幾つか越えて行かねばならない。当然にここの入渓では9mm/40mロープとシュリンゲ(補助縄用途のスリング)、カラビナ(金属環状鉤)といった最低限の登攀用具(ギア)は必要となる。しかし、勘介や涼美にとって夏の入渓と言えば海水浴に行くのと同等の感覚ともなっている。

 伊豆半島の磯場岸壁にはロッククライミングの練習場があり、勘介や涼美も大学の学部時代にはその練習場(ゲレンデ)でロッククライミングの練習をしていたものであるが、夏などは練習の合間に暑くなると海に入って身体を冷やしていた。その為にクライミングと海水浴の組合せは勘介や涼美にとっては一つの夏のセットメニューのようなものになっていて、スイミング&クライミング、合わせて 『夏のwミング』 と呼んでいるほどであった。

 その海水浴の気分で入渓した藍柿沢で、この年、勘介と涼美はとんでもないものを見つけてしまうことになる。

 藍柿沢の右俣が始まる入り口は、岩が両岸から張り出していて、水門の様な景観を創り出し、その水門岩の手前の出合い部分は広く美しい淵となっている。藍柿沢の右俣と左俣の分岐点(出合い)は見事な薄緑淵を形成すると、キラキラと夏の日差しを反射し、まるでエメラルドの宝石のようでもあった。藍柿沢の本流から右俣に入るには、右俣の左岸を高巻くルートがよく使われる。

 (注:右俣・左俣については、
  沢の下流から上流を見上げて右側の支流が右俣、左側の支流が左俣。
  右岸・左岸については、
  沢の上流から下流を見下げて右側の岸が右岸、左側の岸が左岸となる)

その高巻きルートは頻繁に使われることから、取り付き口には薄い踏み跡が見て取れるようになってしまっている。よく観察すれば踏み跡は誰でも認知できるので皆が使う。皆がよく使うので踏み跡は更に明瞭になっていく。これの繰り返しが誘導されて左岸の高巻きルートが一般的なルートになってしまっているのだが、右俣の右岸にも絶好のルートがあるのだ。それは高巻きではなく、右岸の水際を経つっていくルートである。

 右俣入り口の水門岩の周り全体を淵がとり囲んでいるので、一見近寄り難い印象を与えてしまっているのだけれども、実は、右岸の水面下30cmほどの水中には足場として最適となるバンド(岩棚)が走っているのである。脚を膝下まで水没させることを厭わなければ、容易に入り口水門岩を突破できるのだ。それはまるで水の中に隠された秘密のルートのようであり、この事を知る人は少ないと思われる。それは、右俣に入渓する者の殆どが左岸の高巻きルートを選択してこの水門岩を突破して行くことからも推測できる。
 勘介と涼美がこの “水に隠された秘密ルート” を見つけたのは数年前の事であり、秘密ルートを見つけて以降、勘介と涼美の藍柿沢に対する関心度合いは更に深まり、夏の時期には幾度となくこの沢を訪れるようになっていた。しかし、秘密ルートを人知れずのままにして置きたかったのであろうか、勘介と涼美は水門岩近くに人影を認めた時は直ぐには行動を起こさない。人影が有る間は、唯、水門岩の緑の淵を遠目に眺めやるだけである。人影が左岸の高巻きルートの奥に消え去ったのを見送った後に、勘介と涼美は、やおら行動を起こし、秘密ルートに向かうのであった。
 今回の入渓では幸運にも水門岩付近で人影を認めるような事は無かったので、涼美は水門淵の水際で着ていたTシャツとショートパンツを脱ぎ、ビニール袋にそれらを小さく押し込むと、濡れないようにと袋口を固く結び、リュックサックの中に仕舞い込んだ。淵の右岸は安全である事を既に知っているので、涼美は躊躇なく淵の中を突き進み、右岸沿いに水門岩に取り付いていった。すぐその後を勘介が追随して行く。この淵の水流は緩やかで、2人は瞬く間に水門岩を右岸から回り込むと、水門岩の裏側へと姿を消していった。そのスピードは真に忍者の所業とも言えるような素早さで、2人が何度も右俣を訪れていて進むべきルートを熟知している様を窺わせるものである。

 水門岩の裏側、つまり、右俣の入り口の奥は暫く水流の緩やかな淵が10mほど続くのだが、右岸側の岩には適度な足場が水中に点在しており、難なく先へ歩を進めることができる。奥へ進む程に水深は浅くなっていき、最後には右岸の岩岸に上陸する事になる。
 右岸に上陸した後は、沢筋に沿っての河原歩きとなり、先へ行く程に沢幅も拡がって夏の暑い陽光が沢身にも射し込んでくる。この沢身の底に日向が現れてくる地点の左岸側が、左岸高巻きルートの下降してくる地点ともなっている。

 藍柿沢右俣の大滝は落差25mの垂直岩に水流を左岸方向に落とす可憐な滝である。滝壺は逆V字形をしていて、V字の鋭角先端部分が左岸側の奥まったルンゼ状(凹角)の下端部に連結していくような形状になっている。
 逆V字型に形成された滝壺の右端部分には左岸から降りてくるリッジ(凸角)が有り、この滝を越えるルートはそのリッジ上に沿って存在している。このリッジは滝の落水流から10m程の空間距離を隔てて突き出ており、リッジ上部は滝左岸にできたルンゼ状の上端部に合流している。
 ロープを使ってこのリッジを登攀する場合には、左岸ルンゼ状とリッジ上部が合流する地点の5m程手前付近がピッチを区切るビレー(確保)ポイントとなる。2ピッチ目は、この確保ポイントからルンゼ上端部分を滝方向へと水平トラバース(横断)していく。ビレーポイントの高度は大滝の落ち口の高度とほぼ同等である為、10m程のトラバースでルートは滝の上に出ることとなる。天候さえ良ければ、滝の上の水量は強いものではなく、水流に足を漬けることもなく容易に滝上を突破できる。滝の上を通過してその先にある安全地点までは、2ピッチ目開始点から水平移動で30mといったところだ。
 もし、天候の悪化が増水を発生させ滝上での水量が多くなった場合には、この2ピッチ目の滝上に出た直後が難所となって、危険度最大となることであろう。そんな時はこの右俣には入渓しない方が無難である。

 勘介と涼美は、天候の急変でこの大滝突破のリッジ経由ルートが利用困難となった時の避難経路を開拓する必要を感じていた。夏の最盛期の夕方に夕立ちが発生するのは常識であり、夕立ちの来る前までには大滝を突破しておくことが安全確保の第一条件となるが、万が一、大滝突破まえに夕立ちに襲われるようになってしまった場合、右俣の入渓者は危険のるつぼに突き落とされることは必至であろう。
 涼しい滝壺水浴での愉しみを終えて、冷えた身体を日向で温めながら、

 「この大滝の高巻き安全ルート探しの偵察でもしてみない?」

と勘介が話をきり出した。滝壺水浴で冷えた身体は直ぐには暖まらない。ジィっと身体を動かさないでいると、たとえ身体が暖まったとしても暫くは再び滝壺に入ろうという気分にはなれないものだ。もし、避難経路としての高巻きルートを見つけ出せれば、右俣の安全度は高まる上、勘介と涼美の秘密ルートがまた1つ増えるに違いない。秘密ルートを獲得することに楽しみを感じ始めていた涼美もこの勘介の提案には直ぐに興味が湧いてきた。エアマットを日向に広げ、ゴロゴロと寝そべりながら暫くの休憩を取ったの後、2人は高巻きルートの探索を始めた。

 国土地理院の地形図を眺めると、大滝近辺の左岸側には断崖マークが多く描かれて傾斜もきついが、右岸側の傾斜は左岸より緩やかである。勘介は右岸側を探索する為に数十メートルの距離を沢筋沿いに下ってみた。
 登れそうな斜面を見つけた勘介はロープをブーリン結び(舫結び)で装着すると、40mほど試登してみた。足場となる地面は案外と硬く、崩れる気配は感じられない。登高するにつれ斜面はブッシュ(藪)へと変化を遂げ、沢身より離れるにつれ爆流の音は鳴りを小さく顰め、夏の植物の草息が鼻を突いてくるようになる中、枝を掴みながらも藪漕ぎ状態で確実に勘介は40mを完登してしまった。脚元をブッシュに囲まれた勘介が更にその先を見渡すと、遙か尾根状に盛り上がっていくブッシュ斜面の中に岩塊が頭を突き出しているのを認めることができた。

 「あそこまで行ければ、あの岩にビレー(確保)ピンを打ち込むことも出来るかもしれない」

 斜面は既に滑落するほどの急傾斜ではなくなっていたので、ロープを脚元のブッシュの枝に絡め、フィックスドロープ(固定綱)とすると、涼美がプルージック結び(巻き付け結び)をロープに施し、勘介の地点まで上がって合流した。

「これなら、高巻き出来そうかしら」
「あそこの岩にビレーを取れば、その次のワンピッチ程で滝の上に出れる感じだ!」

 勘介は合流点に涼美を残し、緩やかな斜面を藪漕ぎで更に前進すると、頭を突き出している岩塊に到達した。岩塊の表面を観察すると、堅い火成岩のような岩質にビレーピンを打ち込むことが可能なクラックも数本走っていることが判明した。

 後日、勘介と涼美は100mを超えるのナイロンロープを持参すると、岩塊にビレーピンを打ち込み、フィックスドロープ(固定綱)をブッシュの中に隠すように準備して、秘密の高巻きルートを安全ルートとして整備していった。


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