小説『天命の掟RaTG13(仮題)〜〜八ヶ鬼岳の遠望〜〜』001

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小説『天命の掟RaTG13(仮題)〜〜八ヶ鬼岳の遠望〜〜』

                       飯山満とらむ


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プロローグ①

 9月下旬。ある晴れた日の午後。 
 場所は県警本部の南棟第一会議室。傾き始めた日差しが窓辺に深く入り込んでいた。
「それでは、刑事部長、会議を始めてください」

そう促されて刑事部長が口を開いた。
「去る9月15日、県内の黒根川支流の藍柿沢で発生した登山者の転落事故について事故処理を行なった現場より不審な証言報告が上がって来ています。今日は署轄の家神刑事も出席しており、その不審な証言報告について説明します。では、家神刑事」

刑事部長から目配せを送られた刑事の家神五郎が説明を開始した。

「本日の配布資料Aに概略が記載されております。本件は9月15日に登山者の銭型兵次郎58歳が藍柿沢を遡行中に藍柿沢上流部にある大滝で転落し死亡した事故でありましたが、遺体収容以後に不審な証言が出てきています。当初、銭型平次郎は単独で遡行を行なっていて転落死したものと事故処理されましたが、遺体を発見した別の登山者から銭型兵次郎には同行者が居た筈で単独登山者ではなかったとの目撃証言が出てきました。そして、同行者と思われる人物は特定されずに現在のところ行方不明となっている状態です。登山者より提出されていた当日の本件山域においての登山計画書記載の登山者等にあたってみると、銭型兵次郎が同行者と一緒に行動していたのを目撃している者も複数現れているところです。銭型兵次郎自身は登山計画書を提出しておらず、同行者が誰であったかは特定されません。単独登山者同士が一時的に道中の行動を共にしていたとの可能性もあり得るのですが、目撃者によりますと銭型兵次郎と不明の同行者の二人の会話から旧知の間柄の様子であったとの証言が出ています。
 銭型兵次郎は支倉鉱業株式会社に勤務する詠銀行からの出向役員で、登山や釣りについては全くの未経験者でした。全くの未経験者がいきなり単独で渓流釣りや登山するのも不自然。藍柿沢の遡行未経験者が登攀用具の使い方も知らず、しかもルートも分からずに渓流登山していたのでは、正に自殺願望者か、もしくは無謀登山者となるところですが、同行者が居た筈との目撃証言があることから銭型兵次郎の身元を調べると、本件の転落事故には不可解な点が幾つか露出してきました・・」

 会議の出席者は家神刑事の説明を聞き、銭型兵次郎に関する藍柿沢滑落事故は不審死事件の線も視野には入れるものの、引き続き調査を家神刑事に続行させることとして、捜査本部立ち上げまでには至らず会議を終えた。


       *    *     *

プロローグ②

 鐘輪根高利の腹の上に乗った武者小路綾乃が高利の胸元で囁いた。
「銭型の兵次郎さんが亡くなったそうね」
「あぁ、地方紙の新聞記事にも載っていた。転落死したらしいな」
天井を見つめたままの鐘輪根高利が低い声でボソリと応える。
「兵次郎さんを支倉鉱業へ出向させたの、貴方だったんでしょう?」
綾乃が高利の胸の脇腹を人差し指で軽く突ついた。
「詠銀行から支倉鉱業に役員を送り込む際の人選は俺が行なったようなものだ。詠銀行の次期頭取候補の筆頭は俺だからなぁ。その俺が銭型兵次郎を支倉鉱業の役員に推したのだから取締役会では異論も何も出ずに銭型兵次郎の支倉出向が決まった。銭型を支倉に出向させたのはこの俺だって言われりゃ、そりゃぁそうだな」
「なんの目的で銭型の兵次郎さんを支倉鉱業へ送り込んだのかしら?」
「そりゃぁ、支倉鉱業の金鉱脈発掘の詳細情報を知りたいからさぁ」
「じゃぁ、銭型の兵次郎さんはその金鉱脈発掘の調査を託されてったって事なのね」
「まあ、そういうことになるが、あいつ、何の調査報告も出さずに、その前に死んじまった」
「それは、それは、残念無念なことでしたわね。でも、貴方の次期頭取候補ナンバーワンのポジションは変わり無いんでしょう?」
「当たり前だ。今の詠銀行が安泰でいられるのも俺のおかげなんだからな」
「随分と自信満々なのね」
高利は右横の机に置かれた灰皿近くにあるマールボローの箱から煙草を一本取り出すと左口許に差し込んだ。綾乃はすかさずその煙草にライターの火を差し向けた。
「日銀当座預金を担保に使って日銀から資金を借り入れた時に返済金利が付くものだが、この借り入れ資金で国債を購入した場合に得られる配当金利とその日銀への返済金利、どちらの方が多いと思ってる?」
「配当金利ぃ! それ、今までに何度も訊かれて何度も答えさせられてるって!」
「だろう? その金利差を維持させているのが、この俺だ。この金利差で詠銀行に安泰をもたらせているのが俺なんだ。俺の詠銀行に対しての貢献度の大きさは抜群だろう?」
高利はそう言うと煙草の煙を天井に向けて吐き出した。
「そんな次期頭取候補ナンバーワンの立場に居る貴方が支倉鉱業の金鉱脈のことが気になって、気になってしょうがない・・・」
顔をもたげた綾乃が高利に意地悪そうな視線を送りながらも言葉を続ける。
「気になって気になって、気になってしょうがないから銭型の兵次郎さんを支倉鉱業に送り込んだんでしょう?」
「ああそうだ。しかし、今回の送り込みは空振りに終わってしまったな。まあ、次の出向者を探すしかないってことだろう」
「でも、どうしてそんなに支倉鉱業の金山鉱脈の事が気になっているの?」
この綾乃の質問に高利は煙草を灰皿で揉み消しながら過去の記憶をたぐり寄せていった。
 「日銀当座預金を担保としての借入金に対する金利支払い(基準貸付利率)が0.5%だった時、詠銀行の日銀当座預金が2兆円。それを担保に10兆円を日銀から借りた。単純計算による金利支払い額は500億円だ。そこで、その借入金10兆円で国債を購入した。国債に付加される金利(表面利率)が1.0%であった時なので利息受取り額は単純計算で1000億円だ。この国債金利で得た1000億円のうち500億円分を日銀への金利支払いに使い、残りが500億円だ。この残った500億円が詠銀行の収益となった訳だ。
 この利率が償還期日まで持続される表面利率とすれば、単純に毎年500億円の収益が見込まれることになる。国債の償還までの期間が10年だった場合を想像してみろ。10年間の総額で5000億円の収益を得ることになる。
 さらに言えば、この収益はコンピューターのデーターをキーボードで書き変えるオペレーションと、関係書類の数字書き加える事務作業だけで発生してくる収益であり、なんら銀行員の営業努力で生まれてくるものなどではない。
 政界、官界人脈を駆けずり回ってこの状態を維持させたのが俺だ。お陰で詠銀行の経営はここ10年間は安泰となった。
 ところが、ここにきて支倉鉱業の生産商品である金貨コインに人気の兆しが出始め、一部では支倉金コインが流通している。支倉鉱業が貨幣発行団体の一つのように成りつつあるってことだ。日本では通貨発行権を持つのは国家政府だ。俺は国家政府の通貨発行作業の手伝いをして詠銀行の安泰経営を構築してきたんだ。だから、支倉鉱業の貨幣発行団体化への傾向が気になるんだ。支倉鉱業に営業をかけている詠銀行営業部の青倉権五郎一派の動きも気になる。奴らが支倉収益をバックに勢力拡大してきたら俺の影も行内で薄くなるやも知れん。ここは警戒しとかねばなるまい。そこで支倉鉱業の筆頭株主である詠銀行として銭型兵次郎を支倉の役員職に送り込んだ。奴が金山鉱脈発掘事業についての情報を俺に知らせてくることになっていた」
「その段取りも、目論見も、銭型の兵次郎さんの死亡によって、頓挫して、しまった、って、わけよね・・」
綾乃の口調には一人で呟くような響が漂っている。
「頓挫といってもなぁ、それは一時的な事。何も落胆はしてはないさ。第二の兵次郎を探すまでだ。青倉権五郎一派は “希少品の生産” で通貨流通を目論んでいるのかもしれないが、こちらは “信用の創造” で通貨流通を進めている。ここは絶対に負けられない次期頭取候補レースだ。通貨の発行方法なんてな、その方法は何種類もあるんだ。一番単純なのは、年ごとに経済規模の拡大量を国民の人口数で割り算して国民全員に均等に現金を渡せばいいんだ」
高利の口調にはめげているような様子など微塵もなく、むしろ威勢を張っているような風情さえ漂っている。
「例えばな、或る年の経済拡大量が50兆円だったら国民一億人全員に50万円を現金で渡せばいいんだ。これが一番明快で単純な通貨発行方法だ。だが、不況が発生した場合、現金の循環が滞ると銀行はその煽りから直ぐ倒産してしまう。銀行が潰れればパニックが社会を襲って経済恐慌が簡単に起こってしまう。銀行を潰さずに、しかも通貨を発行する方法、その方法は幾つもあるけど、その内の一つの方法が政府が国債を発行して、それを銀行に買い取らせる方法だ。投資先が決まっていない銀行内部の資金(預金)を国債買い取りに向けさせてしまうようでは発行済みの貨幣が唯グルグルと市中を回るだけで通貨発行したことにはならないので、そこは日銀を登場させて、銀行に日銀の貸し付け金を渡して借金をさせる。銀行がその日銀からの貸し付け金で国債買い取りを行えば、日銀の貸し付け金は銀行を通って政府へと移動して、政府が予算を執行した段階で通貨が市中に向けて発行されることになる。日銀の貸し付け金に対する利息つまりは“基準貸付利率”が、国債の配当金利より低く抑えられていれば、その金利差で銀行には利益が転がり込んで来る事になるので銀行はそう簡単には潰れやしない。この方法を指南して誘導、維持してきたのがこの俺だ。国家は通貨発行権を持っているけど徴税権も同時に持っているんで発行済みの通貨を回収したい時は徴税すればいい。もし経済情勢の変化で政府の通貨発行がストップする方向に動けば銀行に転がり込む利益も減少して、ひいては俺の銀行内での影も薄くなり、もし、銀行内の勢力図が変動する事態が発生しようものなら、俺の次期頭取の芽も消えてしまうな。しかし、そうはさせるものか」
そう言うと高利は綾乃の腰を抱きしめ、体勢を反転させると綾乃の胸に吸いついていく。綾乃の唇から微かな甘い吐息が漏れると、綾乃の腕が高利の背中に絡み付いていった。ベッドサイドライトが醸し出す壁側の影が蠢いていく。
「唯、気がかりな事が一つある」
ふいに高利が首を上げた。
「気がかりな事?」
綾乃の眉が大きく揺れた。
「ああ。気がかりな事。兵次郎の愛人の布施原良美の事だ」
「布施原良美・・・?」
綾乃の視線が虚ろに遠拠を見つめて浮遊する。
「兵次郎に支倉出向を引き受けさせる為に、俺が兵次郎に引き合わせてやった女だ。兵次郎は良美という愛人を得て支倉に出向していった。兵次郎が亡くなってしまった今、残された良美は宙ぶらりんの状態で、俺が何とか面倒を見てやらねばならない・・・。暫くは俺は良美の面倒を見るけど、綾乃、変な嫉妬心なんて抱くなよ。第二の兵次郎が見つかって、そいつと良美の相性が合えば、また鞘が収まるって話なんだからな。ここを失敗ると良美から変な怪情報が漏れ出したりして、俺も失脚しかねない」
「貴方が失脚したら麻布で出しているわたしのバーのお店はどうなるの? お店の閉鎖なんてイヤよ。その良美案件、くれぐれも失敗しないでよね。必要ならわたしも協力するから」

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