こんにちわ、ビッグフィルです。
今日はたまたまyoutubeでブラックフリーザを取り上げた動画があって、ふとそこにコメントしたら長くなってしまって、
そこを彼女に見られて「ブログやん!」って言われたので(あ、んじゃあ、そのままブログに載せよう)と思った経緯でのこの記事です。(笑)
私が見た動画はこちらである☟
そして書いたコメントが以下である☟
(ただし辛口コメントなので、超(スーパー)から入ったドラゴンボールファンの皆さんはここでブラウザーバックをオススメします🙏)
インフレは別にかまわない。
絵のセンスが本家より劣るのも仕方がない事だ。
プロットが鳥山明なのに、絵師が変わるだけでこれだけ作品としての質感が変わるのは、単純なキャラへの理解と洞察力のレベルの違いにあると思う。
ブラックフリーザへの変身はそれでいい。
しかし、圧倒的な強さの見せ方が薄っぺらいのだ。
安っぽいというべきか。
全てがプロセスを飛ばしているのだ。
単純な戦闘シーンでも、鳥山明はひとコマひとコマにしっかり駆け引きがあり、攻撃の順番にも意味があった。
つまり臨場感があったのだ。
例えば、初めてベジータと悟空が戦ったシーンを思い出してほしい。
単純な強さのみではなく、ベジータの抜群な戦闘センスの高さが見事に描写されている。
それがあるから当の本人が自分の事を「天才」や「エリート」といっても違和感がないし、そのために出される界王拳3倍がようやく本当の意味で「活路」となるから、見ているこっちまで手に💦
通常の戦いならギャリック砲で終わる所を
そこからさまざまなどんでん返しが起こり、
元気玉からヤジロベーからの悟飯の大猿化、
フリーザとの戦いも長かったが、
実はベジータとの戦いも長かったのだ。
通常の戦いならギャリック砲で終わる所を
そこからさまざまなどんでん返しが起こり、
元気玉からヤジロベーからの悟飯の大猿化、
フリーザとの戦いも長かったが、
実はベジータとの戦いも長かったのだ。
でも飽きない、何故なら細かな設定が鳥山明の中にあるからだ。
それは考えて作っている設定ではなく、
人間描写として当たり前な感情や精神の部分を
鳥山明は単純に描いているのだ。
そう、鳥山明はバトル漫画を描いていると思われガチだが、
鳥山明は人間を書くのが上手なのだ。
同じ意見がやはり多いのか、
こういうネタまで作られている☟
そういった意味で超(スーパー)は、多少は日常の描写などでそういう内面的な描写があるモノの、設定が沢山用意されている割には中身がすっからかんのように、読んでいて感じてしまうのだ。
鳥山明なら、ブラックフリーザやオレンジピッコロ、悟飯ビーストがなくても面白い話が描ける。あつい戦いが描ける。
でも本当に申し訳ないが、とよたろうにはそれが出来ないようだ。
同じ構えでも、細かな体軸の微妙な違いで、
ただポーズと取らせているだけなのか、
それとも今から「こういう攻撃をしかけようとしている」のが伝わる構えなのかが、その違いが一目でわかってしまう。
長くなってしまったが、ブラックフリーザという新設定は別に構わないが、
残念ながら全く見ているこちらはワクワクしない。
フリーザは最強で居てほしいと思うけど、
この使い方は勿体なさすぎる。
辛口で申し訳ないが、これが率直な意見だ。
最後に、ドラゴンボールの魅力の本質は確かに個々のキャラの魅力と強さにあるが、それはひとえに「鳥山明」の画力ありきなのだ!という所で落とし所をつけて、この記事の締めとしたい。
ベジータ比較☟
超(スーパー)
Z(ゼット)☟
最後までお読み下さり有難う御座いました。
それでは、また!