豊かさを受け取るということ

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以前、ヒプノセラピーで「豊かさを受け取る」ということを決めたkina。
(ヒプノセラピーはココナラでも提供している方がいらっしゃいますので、気になる方はぜひどうぞ)

それで、自発的に「私は豊かさを受け取ります」とアファーメーション(直訳:肯定的な断言。言霊の力と潜在意識に肯定的な言葉を意識づけることで未来を良い方向に変えていくテクニックの一つ)を繰り返していたのですが、個人的に「豊かさとはこういうことなのか」と思うことがありましたので、備忘録的に書きたいと思います。「豊かさ」というものについて誰かの、何かの指標になれば幸いです。

まず前提として、kinaは修道士や修道女といった前世をやたら多く選んでいる人でして、いったい何人にそのことを指摘されたことやら…というくらいorz
ヒプノセラピーの時でも、「前世が修道女だった自分」がずらずら出てきた感じで。
そんな前世を多く持ってる人が、そもそも豊かさの受け取り上手なわけがない、ということから認識が始まるというσ^_^;


それから数日後、とある方ととあるシステムについてお話をしていた時のことです。
その方は「このやり方はもっと広まってほしい」と話していました。
それはkinaも同感で、「誰かもっと広めてくれたら良いのに…」と思った時に、ふと「そうか、自分がそれをやればいいのか」と思いつきました。
kinaの影響力は度外視するとしてσ^_^;
人にしてみたら大したことではないのかもしれませんが、そういう心境になれたことにびっくり。
これも、ある種の「豊かさ」と思うんですよ。

それからまた少しして、とある方にお話をさせていただく時に「…そういえば、kinaってこういう資格持ってたよな」と思い出しまして(そもそも忘れんなって話ですが)。

そう考えてみたら、kinaは意外とやれることが多いし、それを自分でも認めてあげよう、なんて思ったりしました。
「自分ができることを認める」ということも、豊かさにつながっていくように思うのです。

豊かさを学ぶのは慣れない身には色々大変だけど、もしかしたら今までは「外部から与えられるものだけが豊かさ」という概念だったのが、「自分にできることを増やして積み重ねて、それを自分自身が認めていくことも豊かさにつながる」ということなのかもしれない…なんて思ったりしています。
神との関係を追うだけなら神の奇跡は認めても、人のするそういう努力は認めてこなかっただろうな…と考えたら、テクノロジーが進化したことは素晴らしいことだし、今の時代は色々大変なことも多いですが良い時代だな、と思ってしまいます。


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