癒しを張り子で説明してみる

記事
占い
今日は人格(エゴ)に関わる雑感を書いてきます。

人間の意識構造をいろいろな例えに当てはめて、考えているのですが
張り子という新しい例えを思いつきました。

張り子って作り方は一つではないみたいですが
中心は空洞で
骨組みというか、鋳型があって
それに、薄い紙やら粘土を重ねていく・・・感じ。

中身は、空、カラなのです。
幾重にも、重ねられた紙が、人格。
こういうのが私、という定義。

本当の私たちは、空、何の形もない、意識なのだけど
重ねられた厚みのある紙の層を、自分だと思い込んでいます。

この紙は、社会的な地位、社会から見た存在としての人格です。
あ~○○ちゃん、○○ちゃんと呼ばれ続けて、○○ちゃんという紙がペタッ。
上手に箸を使えたね~偉いね~で、またペタッ。
お姉ちゃんだから我慢できるよね、でペタッ。

兄として、妹としての行動を選ぶ性格
○○家の子として求められる性格
地域で突出せずに、合わせて反応する性格 などなど。

例えば
誰に対しても優しくて
快活で 朗らかで 誠実で etc.
どんな性格も、外の世界と相対するときの姿勢や在りかたを指します。
でも、そういう条件や比較で表せない純粋な意識が、本来の自己です。

そのためには、見えない領域を思考が受け入れることとか
今の生活からは遠いことを認める必要があるけれど
そういったことを手掛けていく、足を踏み入れる時期に来ているのだと思います。

人格に占領されずに、大きな自分を分かっていると、
何を言われても、大きく構えていられるし
怯えや不安、心配から遠い位置に居られます。
人格に収まっているから、対峙するものや恐れるモノが出てきます。

本当の自分は、人格を抱えた、人格は設定だと承知している存在で
この世界に居るために利用しているのだと分かっていると
人格的に傷つくことを言われたとしても、
ああそうなのかと受け止められます。
その人格は、私の部分であって、私自身ではないから。
また、相手も、そういう人格を持っているのだ、と静観できます。

張り子の紙でいるか
張り子の中の空洞だとわかっているか…

この表現も、分からない人には分からないですよね。
私が得た、見えない領域の実感を、見えるモノで言い表した例ですから。

でも
相手を優先して自分を押し殺す
自分の「嫌」が分からず、頑張る
相手のいうことが正しいと譲ることが普通
そんな自分の性格は、張り子の紙であり
自分にペタッとくっついていただけで、「自分」ではないと分かると、選べるんです。
今回は採用するか、止めるか。
もちろん、剥がして手放すことも出来ます。

癒しというひとくくりは、分けるとこんな感じなのかもしれません。
人格を癒すこと
人格を自分の使い勝手の良いものに作り替えること
人格=自分ではなく、自分が包み込んでいるシステムだと理解すること

張り子で見てみると
剥がれたり汚れた部分を修復する
気に入った形になるよう、削ったり貼り足したりする
自分の本丸は、中の空洞だと心底理解する

魂はそれぞれ、この世での目的は違いますが、
私がやりたかったことが、これらなのです、間違いなく。

今言葉にするとこんな感じですが
求める人たちには、その人たちに合ったカタチで
エネルギーワークをはじめ、それこそ私の人格(エゴ)をフル活用して伝えていきます。

最近ふと、以前スカイプで学ばせていただいていた方たちに
直接会った時のことを思い出しています。
普通ならお別れしていいムードなのに、
言葉もなく、ただ寄り添ってくださった時間のこと。
同じ空間に居る、それだけで伝わること、伝えることがあるのだと。
今はまだ、そこまでの解釈しか出来ないけれど
きっと、その全貌を理解する時が来るのだと思います。

言葉でつまびらかにすることが求められたり、良しとされがちだけど
そうではない何かを、私も誰かに、贈れたらと思います。

少しでも多くの人が、本当の癒しに着手していけますように。

お立ち寄りいただき、ありがとうございました。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す