中華民国?台湾?一つの中国:金門砲撃

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1971年10月25日中華人民共和国が正式国連に加盟し、同日中華民国が国連を脱退しました。それから大陸と国交を結ぶ度に台湾がその国と断交していき、外交部が断交部とまで揶揄されました。

なぜそこまでする必要があるの?なぜ中華民国が大陸と別に独立の国として外交をやろうとしないでしょうか?

「漢賊不両立、王業不偏安」からです!そう、2千年前かつて蜀漢の名相諸葛亮と同じ、蒋介石もまたその矜持で許されないからです。

中華民国こそ正統な中国政府であり、共存することが耐えられないです。

実はアメリカも何度も蒋介石を台湾島以外の離島を撤退し、台湾島のみを支配するように圧力をかけました、つまり台湾を独立させようとしていました。しかし、蒋介石自身が中華民国の大統領であり、決して台湾島島主ではない。蒋介石から見れば中国もまた一つしか存在しえない、それは中華民国です。

しかし、アメリカからの圧力が強大でした、もし蒋介石が台湾以外の領土を手放さなければアメリカの軍事援助がもらえないと通達されました。

その時、中華民国領の大陸に近い金門島が大陸からの砲撃を受け、補給するためにアメリカに依頼していた護衛船が補給部隊を捨て逃げてしまいました。

つまりアメリカからが台湾のために大陸と本格的にやる気がなかったです、それをみて大陸側から妙な通達を蒋介石に出しました。

「解放軍の砲撃が毎週1、3、5のみやる、2、4、6が休み、その間補給するがいい、ただし、条件としてアメリカの護衛船が許されない」と

おそらくこれは人類史上でも見ない面白い(表現が良くないが)光景でした。敵対双方が指定な時間でお互い砲撃を開始し、砲撃する前に事前予告すらします。結果1953年から約20年間数百万トンの砲弾が金門島に落ちました。

今金門島に行けば定番なお土産が当時の砲弾で作られた包丁です、切れ味が抜群だそうです。(砲弾用の鋼ですからね)

蒋介石とその継承者である息子蒋経国二代に渡り、台湾を独立しようとしなかった、むしろ共産党より危険な存在だと明言しました。そのため蒋経国がアメリカで台湾独立主義者に暗殺されかけていました。

1986年、蒋経国が政治改革をし、ずっと禁止していた新聞メディア、党の創立などを解禁し、台湾を民主化に進めました。時代が変わりましたと最後に告げました。
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