おはようございます☆
湧いてくる感覚に素直に行動できたり、そのままを許せたり・・・
命の輝きを曇らせずに存在できることも、幸せの一つですね☆
だんだんと意識の変化と共に、目を通して外を見てるという感覚から
わたしの中に私や見えるものたちが現れてきているという
感覚に変化しつつあるように感じています。
そうなると、貴方も私も、本質のわたしの一部ですから
人の数だけの体験が現れてきているという視点でもありますね。
だから、人の数だけものの見方や捉え方があってもいいということ。
違っていて当たり前なのですね。
それぞれの世界観を味わい体験し、わたし自身を知るという
経験の中にある。
ある意味、関わる人たちはもう一人の私なんだな~って*^^*
私が、わたし(本質)を体験してる。
その他人(私)を見て、あれやこれやと湧いてくる
否定や非難するエネルギーは、自分自身の中に握りしめてる考えそのもの。
考えは必要ないんだなあと気づきますね。
私たちには解らない中で、全て調和の動きがあるんだもの。
ケガして動けないという体験があれば
その人を看病するという体験
その人を治すという人の体験・・・
そんな風に完璧に、調和の中で必然に関わり合いが起きてきてる。
それぞれの魂の体験したいように。
今ここで、湧いてくるままに・・・
それが命の表現であって、あるがまま・・・
たとえ、不安の中にいても、
それが悪いわけではなく
不安不安不安・・・そんなエネルギーが湧いてきてるだけで
それを感じている私がいるだけ。
そこに何のジャッジもいらなくて・・・
いいんじゃないですか?と許してあげると
ふわっと、また内なる光が柔らかく輝き出すのを感じます。
もともと輝いていて、曇らせることができるのは
いつも私だけ。
周りの反応がどうであっても、その反応はその人の一つの角度からの見方だけ。
自分の在り方も許されてるなら
気になるあの人の在り方も許されている。
わたしという本質の、何も間違いはないという
許しの視点で、世界の現れを見れたら素敵ですね☆
そうなれば
神さまの星になりそうですね。
今日も素敵な一日を☆