恐れの原因

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恐れ・・・

私たちの中にそれはいつもつきまとってきましたよね。

今では、どっしりと安心していられるひと時が多くなりましたが
以前はこのような私も、いつも不安や心配に包まれていました。

大勢の中に行くことも怖かったですし・・・

”自分なんて受け入れてもらえるはずがない。”

”自分なんてわかってもらえるはずがない”

そのような観念を握りしめていたのですね。

その観念が自分が傷付かないように守りに入り
外の世界に、傷つけてくるようなそぶりをする人を
生む。

自分を傷つけているのは、握りしめている否定的価値観。

外の誰かが悪いわけではないのですね。

あの人のせいで・・・
そう怒りが湧くこともあるかもしれませんが
それは違います。
その人を目の当たりにすることで、
自分の中にある、自分を傷つける思い込みが顕わになってるだけ。

逆に、その握りしめてるものに、気づいてというように
開放のチャンスを与えられてるということもあったり。

”このくらいしてもらって当たり前、できるのが常識”

このような観念があれば
それをしてくれない相手が現れたとき、

ものすごく怒りや寂しさを感じたりします。

勇気をもって、その常識を手放してみること。
その当たり前は本当なのか?
そのみんなできるはずの、みんなって本当なのか?と。

古い、固定的観念、価値観からそれぞれが開放されれば
社会は変わり、地球は変わるのだと思います☆

人は変えることはできない。

周りに光意外の何かに見えるものがあれば
何かしら自分の中に陰りがある。
そんな風に私も、内側を見つめています。

一人一人が自分の傷つけている、浮彫になる
観念から自由になることが大切だと感じています。

否定しているのは実は自分自身だから。

自分自身を傷つけるものがなくなってくれば
見えるもの全てが生き生きと愛おしく見えるようになり
安心していられる心地が生まれてくるのですね*^^*

外の世界を見ても、
自分を傷つける観念がないからです。

人は人だと見守っていられる心地へ。

”傷つかない人だけが、人に永遠に優しくできる。
これが無条件の愛の体現者。

自分が傷つかなくなったとき、
自分の世界から完全に加害者は消える。”

そう聞いたことがあります。

どんな自分も愛することから・・・・
というのはこういうこと。

思い込みの恐れからいつも、自分を守ろうと
していましたが、
そうすれば、その恐れがあるということを
世界は見せてくれてきたということ。

世界は意識の現れでもありますものね。

外を見て、恐れの元の思い込みや観念に気づき、
開放してあげたいですね。

共に、自由に、軽やかに生きていけるように・・・












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