自然への変容

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コラム
おはようございます。


高校野球の季節です。
球児たちの動きはいまここ瞬間の動き
いのちの動きを感じて
その純粋な動きに魅了されてしまうのかもしれませんね。


自然にカバーし合ったり・・・
細胞たちの動きと一緒で
私たちも今ここに存在していると
必ず、補い合い、助け合う動きが
自然に起きてくるのですよね。


変容といくつか前に表現でてきたけれど
ここで表現される変容というのは
人として頑張って何か別物に変化するというよりも
人から自然へと変容、帰還という感じがしています。


力みから
為すことからの解放・・・・


私たちの動きは一つのいのちの動きです。
そういうところから見れば
物も花も、他人もその区別優劣ない
同じいのち


空とも表現したけれど
空がいのちだとしたら
そこに現れては消える雲が
慣れ親しんだ、それぞれが私はと感じている動き。


自然への変容は
空へと雲が溶け去っていくような感じ


”私の”性格、タイプ、知識、信念・・・
疑う余地なかったその動かないような
私という状態も
それらは雲・・・


それらは雲だと気づかれることにより
全部が空だった・・・


そんな感覚の理解が起きてきます。
頭での理解はこれまた雲で・・・


空を感じていると
他人と見える人の動きも
雲なんだなあと感じられるので
ジャッジがなくなるのです。


世界と表現されるところに
現れては消える現象にも
判断がなくなってきます。


他人や現象に対して
イライラや、ジャッジが起きてきたなと
気づかれたとき


雲の形をこんな形じゃだめだと言ってるのと同じなのだなあと
感じられると
すっと、自然に和らぐかもしれません。


貴方のどのような様子、状態も完璧ないのちの現れであるように
他人と見えるものの、どのような状態も同じくそれなのです。













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