後悔

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コラム
今日も湧き出るままに・・・

慣れ親しんだ私が全てしてたわけではなかったという気づきは

掴んでいるものや、強い信念を持っておられる方には

受け入れがたい表現なのでしょう。

でも、この私にはやっと・・・

そのような安堵が深く広がりました。

これからも深まり続けるのかもしれません。


それがとても自然だからです。

同じ生命で人だけが特別・・・そのように考えることが違和感でしたし、

全ての動きが摂理の中で働きが起きている

その中でまた、人だけが自由にできるということも

不自然だなあと感じていたから・・・

ここのニュアンスがうまく伝わるかわからないけれど、

本当は自由はなかったということが

絶望なのではなく

表面上の意識からすると、

何をしてもいいと、逆に制限がなくなり

自由になる。

そういうことで・・・

以前、一緒にいたいと感じる存在に

”命の動きには逆らえない”

そう伝えられたことも、今は納得で・・・

そのどうしようもないを味わった今

全てが手放され、それを受け入れられた。

共に過ごす命なのであれば、

それが長い短い関係なく

時の働きの中で自然と起きてくるでしょう。

その起きる起きないへの抵抗がまた苦しみとなって・・・

その動きに寄り添うが自然体・・・

よく後悔されていて苦しんでおられる方とお話します。

後悔というのも本当はできないことで・・・

この瞬間湧き上がる思考や、感情や、行動を

”私”が生み出していないから。

生み出されたものを、”私が感じた”

そう、私のものとして認識が起きていたのです。

後悔するよりも、

湧いてきたその瞬間

そのことに囚われ続けるエネルギーの塊を

ふっと緩めて流してあげること・・・・

それが真の癒しなのだと感じます。

それができたら、次同じようなことが起きてきたら

別の思考が沸き上がり

違う表現が起きることでしょう。

この表現がもしかしたらどこかの誰かに届いて

後悔が癒されるが起きるきっかけになるのかもしれません。

そんな風に、縁が起き続け、今が紡がれ続けてる。

この表現もサラがしているというより、

ひとつの生命から生み出されているということなのですよね・・・











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