考えること

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私は精神障害者等級2級のものです、少しだけ小話をしたいと思います。

小さい頃からADHD、ASDのようなものがあったらしいのですが、私自身は気にしていませんでした。

でも人とは何かが違ったんでしょうね、いじめられました。

何かが違うと、集団行動の中で判断されれば排除されるのは当然のことなのかもしれません。

学校生活で小中高でいじめられなかったことはないという位でした。

子供のうちは排除される側でしたが、大人になるとそれは触れてはいけないものの対象に移り変わっていきました。

ですが、専門学校では「そんな触れてはいけないもの」を素敵な個性として扱ってくれ、好成績を収めることができ入学前からの夢を叶えることもできました。

しかし社会や会社は個性を受け入れる場所ではありませんでした。

私は徹底的に排除され、叩き潰され、引きこもり、薬漬けで失禁をしたり幻聴幻覚や希死念慮に悩まされることになりました。

自殺未遂も2回くらいしました、失敗して精神病院に運ばれました。

ここまで、まるで私だけが悲劇のヒロインのような話しぶりですが、私なりにも努力はしてきました、注意をしてくれる優しい友人からのアドバイスや人の行動を観察し

こういう時はこのような言葉をかける、行動するなどメモを取り目の届く場所に貼ったりいつもメモを見直したりしていました。

しかしそれでは足りなかったのです、まったくもって足りてなかったのです。

もっと早くに行動していれば、と後悔ばかりが募ります。

でももう過ぎてしまった針は元には戻りません、進んでいくだけなのです。

1つ嫌なことがあるとそれだけに視線がいって、どうして自分はこんなにダメな人間なんだろうと塞ぎ込んでしまいますが

その嫌なことがあった中でも、嫌なことの中から1つでもいいので良かったこと。例えば、仕事失敗しちゃった・・・でも倒産してないからいいや!

と一種の開き直り、そして次回からの改善点を見つけるのがとても時間的にも心情的にも楽になると気づいたのです。

もちろん病状が悪い時はそんなことを考えている暇もありません、ですが少し浮上してきたとき、あの時あんなに落ち込んでたのに今は少し客観的に自分を見れる、自分はえらいと少しずつ自己肯定感を上げていくのが一番の治療だと気づきました。

この言葉は父に教えてもらいました、どんなに効くと言われる薬でもやはり生身の人間から言われる一言の方が気持ちが、一番の薬になると感じました。

だからといって服薬をやめろというわけではなく、服薬通院で治療をしつつ自分を少しずつ変えていくという姿勢も我々には有効な治療手段であるということを言いたかったのです。

と、つらつらとなんとなく書いてしまいました。
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