コントロールできない物に自分を預けない

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コラム
本当は自分以外はコントロールできない。
他人をコントロールしようとする力で
自分の自己満足に向けて相手に期待を持つだろう。

他人が気になる
自ら支配されている。

どうして
あなたは相手の顔色や機嫌が気になるのだろうか。
人付き合いで疲れるのは自ら支配されに行っているからです。
そして、人が怖いから相手をコントロールしようとする。


*期待*とは
自分の都合の良いように相手をコントロールしようと求める事。
だから自分へのメリットや見返りを求め、期待通りに相手が動いてくれなければ怒りを覚えイライラします。

辞典にはこう書かれています。
期待とは*
ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。
将来それが実現するように待ち構えること。

他人を当てにしない事が大事。
そう聞くと冷たいように感じるかもしれません。
「心待ちに待つこと」は何ら問題ないでしょう。
問題なのは、
期待通りに相手が動いてくれない時、
期待通りになるように相手をコントロールしようとするときです。


相手が自分の思い通りにならない事
「期待が裏切られた」 という置き換えをしない事。

相手はあなたがコントロールすべきなものではない。

何も怖がらないでいい。
コントロールしなくても、あなたは価値のある存在。
人に評価されなくても、あなたは価値のある存在。
何もしなくていい。
人に期待して期待で心を埋めて自分をごまかさないで。



不毛感と疲労感
人生の目的は悟ることではありません。
生きることです。

欲求はコントロールが効かないでしょう。
しかし
自制心は自分の心の問題ですからコントロールできるのです。

相手があなたを傷つける言動をするときは
相手も自分自身を守ろうとしている時です。

あなたは利己的なニュアンスや利己的な行動言動をしませんでしたか?
それについて相手はあなたに壁を作り、それ以上は答えられないという意思表示をしているのです。

愛ある心の行き来を相手としていたはずなのに、なぜあなたに相手は壁を作るのでしょうか。

キリストの言葉にこのようなものがあります。
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」
ルカの福音書6章38節

この言葉が心に響いた方はぜひ実行してください。

響かなかった方は
どうしても、愛されたいと愛が枯渇している状態です。
もっと深く、自分の内にあるものを探り出さなければならない。
いったいどこから愛が枯渇してしまったのか・・・。


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