昔は、
「是が非でも叶えたい!成功したい!」
と言わなければいけない風潮みたいなものが空気感(集合意識)にありました。
神道では、『天津金木式』なんて申したりもします。
しかし、
「叶えなくてよいことを成就させると後々面倒なことになる」
という話は、あまり表にはいわれません。
夢やロマンを否定する現実主義な言い方はしたくないのですが、
「叶えなくてよいことは叶えるべきではない」
と、このニュアンスで申します神仏が増えだしている、と感じております。
『ご利益万歳』としての神仏は、少しずつなくなっていくようです。神仏はそれを演じることができない、のです。
「叶えなくてよいことを実現させてしまうことは、『余計な平行現実』を生み出すことと同義」であります。
無理やり叶えると、どこに負担がかかっているのか、本当にわからないこともあります。贄を出してまでやり続けることは、今の時代にふさわしくないし、『本来の神仏のやり方』ではない、とのこと。
「叶えなくてよいこと」
のほうが圧倒的に多いです。これが頭や心(または魂にも)にございますと、障害でしか、ない。
逆に、
『(本質的に)叶えなければいけないこと』
は、かないます。
「これでもか」といわんばかりに後押しがかかります。
これを認識することはけっこう難しいのですが……。