昨日の記事の訂正(お詫び)と、宗教に対して感じた事

記事
学び
おはようございます(^^)/ しば母です。

ごめんなさい。
今日は、昨日、揚げさせて頂いた記事の一部分について、
どうしても違和感がありまして、その訂正のお知らせと、
その理由を発信させて頂こうと思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。

また、今回のお話は、宗教について触れて行こうと思っております。
これは、私の様な一般人(一個人)が口を挟める様な世界でないのは、
充分承知しているのですが、
どの宗教にも属していない身だからこそ、感じる事かもしれません。
あと、少し自分の考えも書かせて頂こうと思っております。
人によっては、不快に感じる表現があるかもしれません。
もし、今回の話題が自分に属さないと感じる様でしたら、
読まずに閉じてくださいます様、お願い致します。
では始めます。

①『無宗教』ほど失礼な表現はない

前回、あげさせて頂きました記事の中で、私は自分を『無宗教』だと主張する記述があったと思いますが、それについて、まず、お詫び申し上げます。
実は、すごく悩んでしまいました。
どうして、『自分は無宗教だ』と主張するのだろうと…
どうして、私は『あんたは宗教の回し者か!』と罵られる事が、
こんなにも嫌なのだろうと…
どうして、宗教活動をしている方々に対して、マイナスな感情を抱いてしまうのだろうと…
どうして、日本には、宗教に属さない人が多いのだろう…
分からない事が山積みです。
皆さんは宗教の事を、どの様に捉えていらっしゃいますか?

私は、実は、幼い頃、キリスト教の幼稚園に通っていました。
特に、親がキリスト教を押している訳ではなかったのですが、
両親から見て、”近くにあって質の良い幼稚園”だったのでしょう。
なので、なんの違和感もなく、幼稚園へは通っていました。

週一回程度 ”園長先生のお話” の時間がありまして、
園長先生が聖書を小脇に抱え登場してきます。
一番大きな部屋で、私たち園児を集めて、
聖書のお話を聞かせてくれるのですが、
幼い私には、なんのことやら、まったく”ちんぷんかんぷん”で、
一つも理解する事はできませんでした。

でも、園長先生が、お話をしながら、毎回、感極まって泣いてしまう姿は、
今でも覚えています。
とても、優しく穏やかな先生だったなと、それだけ覚えています。
なので、私は、キリスト教は、きっと好きです。

あと、仏教は、やはりお葬式やお盆など、お寺にお世話になる事が
多い事から、日本の行事や習わしに深く関係のある宗教だと思っています。
お寺さんには、いつもお世話になっていて頭が上がりませんよね?
だから…私は、仏教もきっと、好きです。

あと、神道は、実は、私は何も学んでいないので、
実際のところ、どんな教えを説いているのか、見当もつきません。
だけど、家には昔から神棚がありました。
お正月など神社にお参りに行きましたし、
パワースポットとしても興味があります。
お守りも身に着けていましたし。
これらは、皆さんも、似たり寄ったりではないかと思うのです。
それに、最近は、神様を以前より身近に感じる事もあります。
なので…神道もきっと、好きです。

他にも宗教は沢山あると思いますが、私の今の環境では、知る機会がないだけで、特に否定する必要はないと思っています。

なので、よく考えれば、私は『無宗教』なのではなく、
”どれも好き”もしくは”どれか一つを選べない”
だけ、かと思うのです。

そもそも、『無宗教』とは、どの教えにも興味がなく、
だれの話も聞かないし、聴こえない。
そういう意味になるのかな?と思いました。

それって、すごく寂しいし、傲りかもしれないなと感じました。

誰かから親切にして貰ったり、お世話になったら、
やっぱりお礼するじゃないですか?
困ったときだけ縋って、貰うものだけ貰って、かと思ったら、
急に手の平を返して、相手の存在を否定するのは、悲しい行為でした。

申し訳ありませんでした<(_ _)>

私は、もう『無宗教』とは申しません。
『こだわりは特にありません』と答える事にしようと思います。

②偏見と支配欲に気付く

また、『お前は宗教の回し者か!』と言われる事に、
私は敏感に反応してしまいます。
つい反射で『無宗教です』と答えてしまうのが、それに当たります。

あとは、宗教の勧誘の方が、家の玄関にいらっしゃる事があるのですが、
逆にそういう時は、私も、その方に対して、とても不安な気持ちになります。

『宗教の押しつけは要りません』または『興味がありません』と
断ってしまいます。

なんででしょうね…
自分は一体、何に反応しているのでしょう。

宗教は自由だから、何を選んでも、属しても構わないはずなのですが、
どうしても、布教活動に対して、違和感を感じてしまします。
イエスキリスト様も、神様も、お釈迦様も、
沢山の方々が、信仰するのだから、きっと素晴らしい存在なのだと思います。
だけど、人々の敬う心が暴走している様に感じるのは私だけでしょうか?
どうしても『支配欲』を感じてしまうのです。

また、宗教に限らず、人間は、
自分と同じ思想を持たない人や、見た目の違う人に対して、
”排除するべき” ”統一するべき” の様な本能が、
大昔からある様な気がします。
それこそ、『支配欲』です。
支配欲と偏見は密接な関係にあると、私は考えます。

宗教も、個性も、個人の自由なので、
自分以外のものを判断する権限は、誰も持っていません。

だから私も、”自分の自由を奪われる訳にはいかない”そう思って、
抵抗するのかもしれません。

そう考えると、私の考えを否定した方も、
きっと ”自由を奪われる” ”支配される”と感じたのかもしれません。

③自分の好きなように、自由に行きましょう

以上を踏まえ、私は、これまで通り、
正月には神社さんへお参りに行きますし、
お彼岸やお盆には、出来るだけお墓参りに行きます。
それと、もうすぐクリスマスですね^^
私は、子供の頃からクリスマスが大好きなので、今年も、ご馳走を作って
楽しもうと思っています。

プラス、お近づきになった神様と、もっと信頼関係を築けたら良いなと
思っております。

今回の様に、自分以外の思想を否定する事をせずに、
もっと自由に余裕を持って生きて行きたいなと思います。

最後に、私の様な無知の者が、
宗教活動について失礼な発言を申しました事、ここにお詫び申し上げます。
一個人の自由な思想として、お許し下さい。

今日も最後までお読みくださいまして、
有難うございました☆彡
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