ヨシヲとテルミ。

記事
コラム
私はそのふたりの三人娘の末っ子として生まれた。
両親は時折、金をよこせだのキャバレー遊びをやめろだの浮気をしているだの口論が絶えず、私が8歳(小2)の夏休みに別れた。直接的な原因はヨシヲの浮気で、テルミさん曰く「愛が冷めたって言うのよ!」だが、幼心に、テルミさんには言えない秘密があったので正直な話、ホッとした。

言えない話。

今でこそテルミさんにも「ヨシヲとの交わりのクセ」とか「歴代彼氏と比べると〇点」とか話しているが、それもここ5年くらいの話で、テルミさんは、
「もっと早く言ってくれれば良かったのに!早く離婚したのに!」と言うが、ヨシヲに口止めされていたのと、ぶっちゃけ異性との交わりに他には無い快感があったのと、ヨシヲが発情するといつもあちこちの名店で色々とご馳走を食べさせてもらえるので、テルミさんに打ち明けるメリットを感じないので3歳に破瓜して8歳まで関係を続けてきた。

打算的な子供。

当時は「ラブホ」よりも「モーテル」という建物が多く、ラブホテルのように目的がおセックスとは限らない施設だったので、見咎められても後ろ暗い目で見られる心配が無かったのもあってよく「モーテル」に出入りした。
その時に日清の袋やきそばを作ってもらうのも楽しみだった。
ヨシヲが漫画を読んでいる時は邪魔をすると怒られるので、眠ったり、ヨシヲの背中に乗って一緒に読み、エロいシーンがあると、「くうき!あの漫画のやり方でいくぞ!」と、張り切って体位を色々と変えたりしてエロ本はヨシヲにとっては良いカンフル剤となっていたらしく、その関係はテルミさんがヨシヲの仕事のサボり癖に愛想を尽かして親戚を挙げて家の物もすべて引き揚げて来て手の届かないところに引っ越して終わったのだが、「三人居るんだ!ひとりくらい置いていけ!」と、なんとか私を自分の手中にと頑張っていたが、まあ、当然、親権はテルミさんに。
たまに「あ~、河豚の天むす食べたいな~。」とか「サザエの壺焼きが恋しい。」とか、テルミさんを困らせれていた。

それからも何回か、面会したい旨の電話はかかって来ていたが、テルミさんは受話器の向こうがヨシヲだと分かると「おい、俺だ。くう…ガチャン!」といったけんもほろろな塩対応だったし、たまにヨシヲがあまりにしつこいので私が替わると、「くうき、何処にいるのか知らないがお父さんのこと好きだろ?また美味しい物を食べて、いいコトしよう!」「そのいいコトって、本当は結婚して愛し合うふたりがするものなんでしょ?子供を作ることなんでしょ?私、お父さんのコトは愛してないし、嘘つかれてた事にも腹が立ってるから無理。」と、きっぱり断るようになった。

2~3年で諦めたらしく、それ以降は最近、ヨシヲが夭折したらしいと聞いただけで、しかも借金を残して死んだので、法的な手続きが大変で、私たち三姉妹はひとり当たり10万円くらいかけて、数千万円に膨らんだ借金の相続拒否をした。最後の最後まで鬱陶しい精子だ。(←最早、父親とも思いたくない。)

テルミさんはテルミさんでほとんど世に出ることなく嫁いでしまったので、お金の使い方が荒く、借金を作っては祖父母に返してもらい、作っては返してもらい、の繰り返しで、此処まで来た。もう、祖父母も居なくなった今、「くうきちゃん…今月○○〇円足りないんだけど。」「奇遇だね。私も今月お金無いよ。」「・・・・・。」という私の塩対応にむせび泣いたり怒ったりよいしょしてみたりしていたが、私が頑としてお金を出さないのが分かってきたらしく、今度は自分の弟…つまり私のおじに月末頼み込んで毎月乗り越えている。

さて、長話になってしまったが、うちは両親は毒親だったし、姉たちも一定の年齢に達するまでは私をサンドバッグ代わりにして、都合の良い時だけ姉面するので、遠くに嫁いでくれてありがたいとすら思う。

何か、可笑しな話になってしまった'`,、'`,、'`,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、'`,、'`,、
まあ、この手の話は尽きないので、暗くならない程度に今後もちらりほらりとして行こうと思う。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す