(*‘ω‘ *)自己紹介(②幼少期~高校)

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コラム
①の続きです。
 私の小さな頃の私のイメージですが、誰かが話した内容や目の前の出来事を理解するまでに時間がかかり、即レスできない。多動気味やまだ不安経験が少なかったためか、興味あることにはすぐ手を伸ばす、じっとしていられない、長く取り組まない。想像力豊か、自然や人間の風景を感じやすい、そのような子供だったと思います。
 色々なものに感動する気持ち、センスオブワンダーは、いまだに持ち続けている気はします。生き物の形、葉っぱの形、水の波紋、雨のにおいなど、世界の豊かさや広さを感じています。
 今でもそうなのですが、物事を決めてかからないので、判断するまでデータを蓄積し、自分なりの検証をするまで、これこういうものだ、などと断言できませんでした。それは親子関係からも影響を受けていると思います。
 父からは、物事を客観的に見ること、フェアな視線を持つこと、を教わり、母からは本人が理解していなかったのもあるのですが、特定の考え方を教わらず常識という型を教わることがありませんでしたし、人の目を過剰に意識すること、人に合わせること、人に好かれようとすること、などを教えられずに済みました。(協調性、礼儀、コミュニケーション力は残念ですが)
 両親の養育を総合すると、自由、フェア、客観的、自分律、などの基礎は得られたと思います。

 なので、子供時代はシャイや臆病なのもあって、コミュニケーションの初動は遅いけれど、意地悪な性質はあまりなく遊び好きで人好きだったこと、小学校は規模も小さくあまりきつい性格の人もいなかったので、楽しく平和にみんな友達という状況で育ちました。悪い気持ちもなくはなかったのですが、誰かを仲間外れにするようなことはしないし、道徳なども素直に学べたので良心もそれなりに育っていました。中学、高校でもコミュニケーション力の内容は変てこなところはあるし、ちょっと変な人扱いもありましたが、学習能力が高いといいますか、ある程度は適応できました。
 高校になると、持ち前の冒険心や、家庭環境が不安定なこともあり、当時普及し始めた出会い系などをやり始めます。ちなみに女子高に行きましたし、その後も女性の多い環境、友情を大切にするなどの性質で、持ち前の不純異性交遊をしちゃうようなところを、自分のリアル世界ではあまり繰り広げなかった(あまりなので全くではないです)ので良かったです。


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