「傘寿」の道も「三」寿から

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少子高齢化。先月、敬老の日には各地でお祝いの行事が行われましたが、古希(70)や喜寿(77)のお祝いなどはもはや、珍しくなく、傘寿(80)・米寿(88)でもようやく平均寿命付近、さすがに、卒寿(90)白寿(99)にもなると、「おお。」とおどろく。そのうち紀寿(100)や皇寿(111)、大還暦(120)などさえまれではない、という時代がくるかも知れません。その「◯寿」の名前にはそれぞれに由来はありますが、「なるほど。」と思えるようなそれなりの理屈が存在します。
年齢にまつわるお祝いは、初めは「◯寿」のような難しいものではありません。それが来月、やってくる、「七五三」です。昔は長寿どころか、おとなになることでさえ困難な時代がありました。それが「三年」も生きた、五年。七年も、と生きながらえたというのは、親にとっては理屈ぬきで本当に喜ばしいことだったに違いありません。本来、七五三は、11月15日なのですが、絶対に11月15日であるべきだという訳でもなく、日取りに関して「いつやるのか」という決まったきまりもありません。だから、11月15日にこだわらず、親の時間の都合がつけやすい週末や祝日、参拝客の混雑が少ない時期などに行っても問題はありません。
五三の歴史は平安時代にまで遡ります。暦が中国から伝わったときに、奇数は陽数であると伝わったため、奇数の年で行う方が縁起もいいとされていたという説が有力です。
時代は下って、江戸時代になると、犬公方として知られる江戸幕府第五代将軍徳川綱吉の長男である徳川徳松の健康を願い「11月15日」に公式にお祝いをしたことを端緒にして「七五三」という風習は武家や商人の間で急速に広まっていきました。
七五三は、髪置きの儀(三歳の男女)、袴着の儀(五歳の男子)、帯解の儀(七歳女の子)の三つが元になっています。何とも由緒正しい格調高き歴史を感じますが、それもそのはず、大元は宮中の行事であり、それが貴族全般にも広がり、さらに武士・商人武家にも伝わり、庶民の習慣になるのは、大正時代と言われています。同じく帯を結んで着物を着るようになったことを祝う儀式です。この儀式は、男女ともに九歳の時に行われていましたが、江戸時代末期からは男子は五歳、女子は七歳で行われるようになりました。
  髪置きの儀きの儀では、赤ちゃんの頭に、糸で作った綿白髪(わたしらが)を乗せて長寿を祈願しました。 綿白髪には、髪が白くなるまで長生きして欲しいという、願いが込められていますが、傘寿からともなれば白髪ばかりのおばあちゃんに。
それまでは健康に慮り、清潔さを保つという観点から髪を剃っていた赤ちゃんも髪置きの儀から髪を伸ばし始めますが、
傘寿のおじいちゃんは、伸ばそうにも、完全な禿頭で一本たりとも、髪はない。そこまで長寿であれば、まったく喜ばしい限りでありますが、傘寿も三歳のお祝いから始まると考えれば、感慨深いものがあります。

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