ブンショウの耐えられない重さ

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コラム

ココナラで私は「仮面ライター1号・2号」として、主に二つのタイプの仕事の「請負人」をしている。「教育系」の仕事で「教育系の作文・論文」の「手直し」や「添削」あるいはアドバイス、もう一つは「ウェブ・ライター」という共通点がある。いずれの場合も「文章がウリ」であるという共通項がある。もともと、塾で国語を教えていて、オンラインで家庭教師もしている。国語については知識もあり、フォーマルな文章を書くのは得意である。否、文章は正しい文法的な知識をもとに書かれないといけないと強く信じており、世の中に流布する言葉の「誤用」が人どうしても許せない。このココナラでも、そのことをテーマに何度か、ブログに書いた。もちろん、そのことが強く求められるような「教育系」の仕事であれば厳格な「文法的知識」のあることは「最低限」必要なことである。ただ、コピーライティングなどの「商用」の文章だと事情は変わる。むしろ、まったく逆であると言ってもよいことに最近、きがついた。コピーライティングなら、読み手に「読んで」もらわなければ何にもならない。「作文」の世界で言えば「なるべく、制限字数ぎりぎりいっぱいまで書きなさい。」と指導してきた。か「漢字で書けるものは、できるだけ漢字を使いなさい」「同じ意味であっても、和語と漢語ならば漢語を使った方が高級感を出せるので、漢語を使いなさい」「外来語ではない言葉をカタカナにするのは間違っている」などという教え方をしていたため、文章は「漢字のやたら多いごりごりの堅苦しい文章がぎっしり詰まったものになる。誰がそのようなものを読んでみようと思うだろうか。きっと、見るだけでも嫌であろう。これは「商用文」では致命的ではないか。そのことは、アマゾンのある分野でランキング1位を獲得した人に直接原稿を見せてもらって痛感した。「文章はここまでくだけていいんだ」という発見は、まさに目からウロコが落ちる思いがした。「商用文」ではひたすら、読みやすく、わかりやすく、軽く、肩の力を抜いて。このことを実感したのである。そのように考えるとこれまでのわたしの文章はいかにも「堅い」。礼服を着て釣りなどのレジャーに出かけているようなものである。今後はこれを改めて、このブログも多くの人に読んでもらうためにそのセンで書いてみようと思う。特にガチガチの文法主義者なので、ヘンシンするのは「清水の舞台から飛び降りるくらいのキモチである。

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